#341 理解と誤解の間で
なんでこの人はこんな風に考えるんだろう,よくわからない,という時がある.このよくわからないというのは相手がいいとか悪いとかっていうこととはまた違う.
例えば相手に明らかに悪意があるであろうという時は,もちろんそれは嬉しいことではないし嫌なことなんだけれども,何を考えてるのかよくわからないということとは違ったりする.
つまりまあこういうロジックで僕のことが嫌いだからこういうことをしているんだなとか,彼にとってこういうメリットがあるからこういうことをしてるんだなとか,そういう理解ができる時はある.もちろん嬉しくはないしそのまま受け入れることはないんだけれども理解はできる.
一方で多分悪気はないと思うんだけれども何か困ったことを言ったり困った行動をしたりまあもちろん困ったっていうのは私の主観においての困ったということなので別の人間にとっては困ったことではないからかもしれないけども少なくとも私にとっては困ったことである.
まあそういう私にとって困ったことをしてくる人というものがいていたとして,しかしその人にはおそらく悪気がないであろうと思われる.だけれども困った理由というのがまあ私固有の理由ということであればまあその固有の事情が理解できなければまあそこはしょうがないよねという時もある.
けれどもそうではなくて,いやーこれは普通に考えてそれは嫌なことだよねみたいなことに,そういう時そういう事柄に出会った時に,よくわからないなとなる.
もちろんそこには自分のバイアスとかあくまで私がそう思ってるだけかもしれないので,こういうことがあってこう私は持っているんだけれども,あなたはどう思いますかというように別の第三者の友人に聞いたりする.
ただこれは必ずしも完璧な方法ではもちろんなくて,その前後の文脈とかそれまでの話を流れとかそういうものが分かってないと,自分にとって都合がいい部分だけを切り出して説明をすることによって得られた答えというのは必ずしも正しいわけではない.
だから無関係な第三者に相談する時は,これはやはりできるだけフェアに説明するように心がけるがやはりどうしてもその人間固有のバイアスや説明不足のようなものは含まれるという風に思いながら第三者に相談しているので,そのことを事前に共有もするしこの場所っていうのはこの場面というのは何だろうな必ずしも私の味方を欲しい私の味方をしてほしいということで言ってるわけではなくて,他人だったらどう思うのかという基準を知りたいのだからフラットに考えて欲しい私が間違っているなら間違ってると思うと言ってほしい.
そんな風に伝えるんだけれどもそうは言ってもやっぱり不完全な情報の中で判断をしてもらうのでそうだとしてもそこで出た答えというのは100%それに影響することはできないと思っている.
しかしだ,例えば何かのグループにおいてその前後の文脈のことも全て見ていて分かっている人みたいなものがもしいるとしたら,その人に聞いて私はこの件についてこう思っているんだけれども,事情を知りつつも客観的というか第三者であるあなたはこの点についてどう思いますかというような意見を求めることはある.
これは全くの第三者全く無関係の第三者とはまた違う問題を孕んではいるけれども,そうは言っても文脈をわかっているので情報の不完全さというものはなくて,あとはできるだけフラットな意見をもらえるような状態を作るかということだと思う.
そしてもしただそこでもやっぱりその例えばだが私ではなくてその私の私に対して何かこうちょっと困ったなということをしてくれる人みたいなものの方がやっぱり価値観的には普通に考えておかしいんではないかそういうことになったらどうしようか.
この普通に考えてというのの普通とは何だろうということはよく思う.普通なんてものはないという気持ちもある.しかしやっぱり全ての人に適用されるノーマルというものはないけれどもある集団における傾向というものはあるだろう.性差別とか人種差別はよくないが,人という種族の場合は100%かどうかはそこまで知識がないか多くの場合は男性の方が女性より身長が高い傾向にあるというのは多くの集団で間違いではないだろうし,例えばそうだな私は日本人だけれども日本人よりオランダ人の方が身長が高い傾向にあるというのもおそらくこれは間違いではないだろう.
それを普通はという言葉で表現するというのは必ずしも正確ではないかもしれないが,まあ普通という言葉のニュアンスは非常に広いので時にそれが良くない影響を持ってしまうこともあるけれども,一般的な問題のない会話の文脈で言うと一般的な傾向として言うと日本人よりオランダ人の方が身長が高い傾向にあるということを,口語的に,カジュアルな表現として普通は日本人よりオランダ人の方が背が高いよね,ということ自体は大きな問題ではないだろう.
まあこう改めて書いてみるとそうは言ってもなんだかちょっと違和感はあるけれどもね.普通はという言葉を私もできるだけ会話の中で使わないようにはしている.特に何か小さなことであっても軋轢がある時にその普通とは何だろうっていうことは常に問題になるし私自身も言われたら気になるし言ってる側としても気になるので,日常会話としてもよく考えたらあまり使わないようにしている気がする.
普通はこうだよねというよりも,私はこう思うということもあるだろうし,普通がそうかどうかということはまあ曖昧なのでわからないが,少なくとも多くの人はこう思っているであろうという傾向があると私は思っているがそれについてどう思うかということができる.
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