#342 会社と自己
この間書いてあるテキストが公開した後に友人からあれは自分のことなのかなごめんみたいこと言われて,まあ全然そんなことはなくて,なんなら特定の人を思い浮かべたというよりは抽象的に何かこう概念のようなものに対して考えながら書いていたような気がするのでまあとにかくそんなことではない.
だからといって別にそれが悪かったとは思っていないしまあそういうこともあるよねとは思うけど,まぁ実際に逆に言えばそういうことを書いたわけではないのであれば、そういうことを書いたわけではないということがもっと伝わるような文章というものを書けるようになってみたいものだとは思う.
そうは言っても自分も誰かが何かを言っていた時にそれが抽象的なことだったとして,常に自分には全く何も関係ないという自分の無謬性みたいなものを常に信じられているというほどの人間ではなくて,やっぱり時にはこれは自分が何かミスってしまったのかな,ということを考えて自分自身を振り返るということがある程度には,ある程度には,ある程度には何て言ったらいいんだろうなこれは表現が難しい.
自信満々だというのともうちょっと違うし自分に自信がある自分が大好きである自分は悪くないと思っているどの表現もあんまりしっくりこない.
次の話.世の中には会社というものがいろいろたくさんあってそこにはたくさんの人が人を雇う側にいたり人に雇われる側にいたりする.よく考えてみるとこの人を雇うという制度は結構面白い.ごく自然に受け入れてたしそれが当然のように思っていたけれども,いやここで言っている当然のように思っていたというのは人に雇われることとか人を雇うことが当然のように思っていたということではなく.
もちろん世の中にはそのどちらでもない人はたくさんいるしそのどちらでもないことが普通ではないとかどちらが普通だとかいうことを言っているわけでは全くない.雇われることが当然であるというようなことは言っていない.雇うことが当然であるということも言っていない.
そうではなくて自分の社会に自分が所属する社会に会社というものが存在するということを動く普通に受け入れていたし,多くの人はそうだと思う.自分が生まれた時から多くの人にとっては会社という概念は存在しただろう.多くの人にというか会社というものの歴史を考えれば今生きている人は全てこの世界に会社というものが存在するという状態で生まれてきた人だと考えて間違いないだろう.
ここでいう会社というのは曖昧で抽象的な概念を含んだものとして言っている.うまく整理はできていないけれども法人という概念とはまた少し違うようなニュアンスで今自分は使っているような気がする.
法人というのは人と書いてるように人格のことだ.法人格.つまり1個の主体である.ここで言っているのは辞書的な定義ではなくて言葉に対して今自分は少なくともこの場ではそういうニュアンスでおそらく使っているんだろうなということを自分に対して探っている.だから厳密に辞書的な意味と違っても,それは許してほしい.
そして法人に対して会社っていうものを想像すると,今自分が会社というものに対してどういうイメージを持ってこの言葉を使っているのかということを想像すると,それはおそらくシステムのことを考えているんだと思う.
世の中には悪い人間もいい人間もいるように法人というものが人格ある人の人間と同じような存在であるならばもちろんいい会社も悪い会社もある.そして多くは人間と同じように完全にいいものや完全に悪いものというものはなくて,そのほとんどがグラデーションの中のどこかにある.
それにそもそもいいとか悪いとかっていうものはその基準によって常に移り変わるものだしその基準というものは環境によって取り巻く環境によって容易に変わるものだし,時間が経てばどんどん変わっていく.そして時間が経たなくても場所が変わればどんどん変わっていく.
会社っていう仕組みはすごいよね.すごい発明だな,みたいなことをなぜか今更しみじみと思った,という気持ちを言葉にしてみたのかもしれない.
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