書く実験の記録

#380 夢を見ない私が見つけた、記憶に残る奇妙な夢の世界

今回は珍しく夢を見たが昨晩は夢を見ていない.そもそもよく夢を見る人がいると言うが私はほとんど夢の内容を覚えていなくて覚えていないというか夏まで見たことを覚えていないので実質見ていないような状態だ.

夢は見ていないと思っている人は実はそんなことはなくて夢自体見ているとが単純に覚えていないだけだという話をどこかで読んだ気がする.本当かどうかは分からないが.

夢の内容というのは自分自身はあんまり夢を見ないが故に昔みたいに目をすごく強く印象に残って覚えているものというのはいくつかある.まあまあ気持ち悪いというかホラー映画のようなちょっと嫌な夢もあった.典型的な夢の例として出てくる空を飛ぶ夢とかする夢なんかも覚えているものはある.

話は変わるが最近食事の記録の仕方を変えている.食事を記録するとそれによって摂取された栄養素をだいたい表示してくれてあと1日にどれぐらい食べないのかということも合わせて表示してくれるようなアプリがある.

最近はそのアプリを使ってみていて本当は毎日書かず100%入力をしたいところなんだけれども実際には欠かしてしまっている入力できていない日というのもあるんだけれどもまあできるだけやっていてそして1日の中でもあるしそのアドバイスはしてくれるので100%継続できなくても1日だけでもわかることがあるというのはまあまあ再開するモチベーションになる.

継続をする何かというのは再開するモチベーションというのも大事だと思う.なぜならば継続というのは時にいやしばしば頻繁に失敗するからだ.

けど目的というのはそれによって何かを達成したりとか何かを得ることであったりとかそれが分かりやすい お金とかそういうものではないとしてもとにかく能力の向上であるとか何か自分はそれをできているという満足感とか自己肯定感のアップであったりとかそういう色々なものも含めて何かを得るために何かを人は何かをしている.

つまり継続自体は方法であって手段であって目的ではない.そうは言ってもその先にある何かというのは意識しすぎると当然うまくいかないのであって継続のために継続をするぐらいの気持ちの方がまあいいわけなんだけど.

それでもやっぱり継続自体が目的になりすぎているとつまり100%を毎日必ず何かをやるということが目的になりすぎると自分の失敗としてよくあるのはやっぱりその継続ができなかったということ自体に落ち込みすぎてそれを再開できなくなってしまうことだ.

からこの食事の記録というのはなんとなくもちろんそれをやった結果栄養素をきちんと取れてまあ望ましい理想的な自分の体になるということが最終的な目的でやって記録すること自体が目的ではないんだけれどもだから正直言ってめんどくさいなという気持ちはなくはないしもっとその自分が食べているもの全てを例えばだが何かこうカメラに撮るだけでも自動的に入力したりカメラという自体もまあある種常に何かこう録画しているカメラみたいなカメラみたいなものをメールアプリのカメラみたいなものを違うよウェアラブルのカメラみたいなものを身につけていることによってそれが記録されていくというのはまあ理想の世界なんだけれども現在の社会ではまあそうはなっていなくて面倒くさいというのは面倒くさい.

めんどくさいしまぁ時々忘れてしまったりその完全に継続はできていないんだけども大雨で継続できているのはまあなんかそれをやるとそこそこのゲーム性があると思ってるからだ.というかもちろんそのために継続をするためにゲーム性があるというような思い込みは自分にさせているのかもしれない.

一方でうまくそのなんて言うんだろうな継続ができていないものであるとかまあその1回途切れてしまったことによって再会がすごくその億劫になってしまうめんどくさくなってしまうようなものもあってそれは何なのかっていうとやっぱりその1回1回のリターンみたいなものが少ないというか見えない.

というような文章を書いた上で,今回はタイトルは完全にGPT-4が出力したものそのものにしてみた.何とか試してみたんだが過去に,いまいちどうもすっきりしないというか気持ち悪いというかなんか自分だったらそうではないなというようなタイトルをつけてくる傾向にあるのでそのまま使うことは避けていたんだがまた試しにしばらくそのまま気持ち悪いものだとしても試しに使ってみよう.プロンプと工夫するという様子もあるだろうしねこれも実験だ.

2024-05-09

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