書く実験の記録

#383 驚きを売る

GPT-4oが出た。みたいな時事的な話はしないようにしていたのだが、これも一つの実験なので、時事的な話をしてみることにしよう。〜ヤバい、とばかり言っていて深掘りもせずに実際にそれをツールとして使って何かをすることもなしに驚いてばかりいる人を驚き屋さんとして揶揄する向きがある。

これは驚くことそれ自体が目的になってしまっていたり、またはそれをビジネスとしてやっているという意味だろう。しかし驚き屋というと驚きを売っている感じもする。言葉的には。驚きいりませんか〜100円ですよ、みたいな。

驚きを売る、と思うと、驚きを売るのは楽しそう。買うのも楽しそう。驚きを買うと、自分は驚きを得られるわけだから。驚きというのはスペクタクルであり、一時期盛んに言及されたロジェ・カイヨワの「遊び」でいう「めまい」だろう。

と言ってもこの本についてきちんと内容を覚えてるわけでは全然ないので、なんかぼんやりそんなのあったな、くらいの記憶である。

よく賢いなと思う人の討論とかを聞いていると、良くもまあそんなに、と思うほどに、〜のかいた〜という本で、〜と言われていて、というようなのがスラスラと出てくる。

まあ討論というのも一つのエンターテイメントである場合もあるので、視聴者をちゃんと楽しませるように、仕込みもしてきているのだろう。仕込みというと悪いニュアンスかな。要は予習、練習だ。

ボクシングの試合だって、当たり前だが、事前に体を作って、技術も習得する。そのために練習をする。ことばの戦いである討論も、事前に脳を作って、話す技術も習得するだろう。そりゃそうだ。

2024-05-14

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です