書く実験の記録

#435 現実の解像度

前回の記事の挿絵として生成した画像は今ふと目に入ったがこれは本当になんかこう面白いというか印象が深い.芸術的な価値はもちろんないかもしれないがなんかこう絵も言われぬ暑いなという感情が伝わってくる.辛さが伝わってくる.

社会に出てもうしばらく経過してしまったがやはり今更だがそして今更だなと思いながらしかし今更だからこそ思うことがある.それはやはり人によってスタート地点が違うんだなということだ.

スタート地点も違うしその他のあらゆるものが違う.それは本人の努力であるとか才能であるとかそういったものだけではない.あらゆる社会構築的なものによって差がついているということはそれこそ学生の頃であれば見えていなかったものというものが逆に年を経るにつれて社会がリアルにやはり解像度は上がってくるのでそうするとやはりそういう部分についても解像度が上がってくるというものはやむを得ないだろう.

だからこそ何かにすがりたくなったり何かから逃げたくなったり見て見ぬふりをしたくなったり気づかないふりをしたくなったり諦めたくなったりもしくは何かに怒りをぶつけたくなったり無力感に戸惑ってしまって気力を失ってしまったりそういったことはたくさんあるということは昔よりも理解ができたように思うしそのことについてもやはり解像度は上がった.

これはいわば決定論のようなもので.というかまあ要は決定論なのだと思うが.量子論によって決定論的な世界観っていうものはかなりの部分否定されたというか疑問が呈されているのだという理解はしている.

これについては自分は専門家ではないし何がどのようにどちらが正しいのかもしくは現状どのような研究はされているのかどのような論が主流なのかということについてここできちんと語ることはできない.

だからここでは自分の思考の手助けとして補助線として何か一つの考え方をこう手助けとして使うというだけにとどめようと思う.

とにかく学生の頃はやはりいろんなものが見えていない.と言うとちょっと主語が大きすぎるのであくまでもこれは自分の話である.少なくとも自分においては学生の頃よりも今の方が見えているものはやはり多いだろう.ほとんどの場合ほとんどの人はそうで経験を積むにつれて何かがわかるようになる.

もちろんその分かったと思っていたことが間違っていたということもあるだろう.なので分かったということが正しいことがわかったもしくは本当にわかっているかどうかわからない.けれども少なくともその人にとって分かったと感じていることは増えるというのは間違いないだろう.

2024-07-21

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