書く実験の記録

#437 思考の速度と入力のギャップ

今私はこれを新幹線の中で書いている。よって音声入力ではなくキーボード入力をしており、私の設定の場合はそういう時は句読点が「、。」になる。音声入力の時は「,.」になっている。つまり過去の文章を見るとその部分でその文章が音声入力なのかキーボード入力なのかを判断できることになる。あくまで今の時点ではだが。

あまり時事的な話題を取り上げるつもりはない場所なのだが、今この新幹線に乗っているという状況につながるものなのでここに記しておく。今乗っている新幹線は始発である。前日に新幹線で事故があり終日新幹線が運休していた。

いや正確には非公式ながら最後に数本走ったらしい。回送電車に一応客を乗せたのだとか。このことについてもさまざまな意見はあるところだが一旦おいておこう。

ちなみにキーボード入力だとここまで入力してもう3分ほどが経過してしまっている。遅い。キーボード入力というのはあまりに遅い。

もちろんこの遅いというのは少なくとも自分がそうであるということに過ぎない。もっと早い人はいるだろう。でも少なくとも多くの人は話すよりキーボードを打つ方が遅い人が多いだろうし、プロのタイピストでも、じゃあその人にとっても話すより早いかというと、まあそうではないだろう。まして、思考のスピードよりは確実に遅い。

逆にいうと、この遅さというものが重要なのだな、意味を持つ時もあるのだな、と思う。音声で入力している時より今まさに、多少はまともな文章を入力できていると自分では感じる。あくまでも自己評価ではあるが。

それはやはり遅さであろう。思考のスピードとキーボード入力のスピードの差が、そのアウトプットのクオリティにつながっている。話すスピードは思考のスピードに近すぎるのだ。

そこで思うのだが、では話すスピードには物理的な限界、発話する側も、それを認識する側も、限界があるので一定の範囲に収まるとして、思考のスピードの方を早くしたらいいのではないか。思考のスピードが速くなれば、発話のスピードとの差ができて、そこで考える余地が生まれるのではないか。

これについては、おそらくそうなのだと思う。それができている人もいるのだろう。発話で論理立てて素晴らしい内容をアドリブで話せている人は、もちろん訓練による反射や自動化みたいなものもあるのだろうけれども、そうではない部分については思考のスピードが早いのだなと思う部分はある。

しかし、少なくとも自分については、逆に話すスピードに思考のスピードが束縛・制約されているのではないかと思う。これはなんというか、言語でものを考えてしまう人間の悪癖というか、その方法における限界なのかもしれない。発話こそしないが、頭の中で言葉を紡いて考えていたりすると、当然そのスピードに制約される。

これは本を読む時などに、頭の中で音読してしまう人と、それをせずに意味をとらえることができている人の違いにも似ているかもしれない。頭の中で音読すると、前その速度に制約される。けれども直感的に意味を掴むことができたら、その速度を超えることができる。

同様に、思考についても、もちろんロジカルシンキングは大事なのだけれども、頭の中で言語化している限り、その速度を超えられない。少なくとも自分についてはそう感じる。であればそれを超えるには言語化せずにロジックを組み立てて、結論を出す、つまり直感的な判断をするしかないのではないか。

ちなみに私の場合は言語化する癖が良くも悪くもあり、まあそのせいでこんな文章を書いているわけだが、そういう意味でより直感的に物事を判断できる練習をしなくてはいけないな、と実はここしばらく考えていた。

2024-07-23

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