#457 補足の迷宮

昨日何となく昔のポストを——前回のポストでこれからは「ポスト」と呼ぶことにしようと一旦はなったが今自分で書いてみてあまり納得していない感じがするので改めてこの呼称の問題については考えたい——眺めてみたら、なかなか自分としてはうまく——上手くとはなんだ?別に上手い下手を考えて書いているわけではない、いうとしたら「自分としては良い」いや「感じるものがある」くらいか——書けていたテキスト——やっぱりテキストと読んだ方が意味性がなくていいな、でもテクストとか呼んじゃうのはちょっと気が引ける——があった。
というような短いことを書いていて、無数の補足を、控えずにそのまま入れてみたら大変なことになった。例えば上の段落の文章から補足的な部分を取り除くと以下のようになる。
昨日何となく昔のポストを眺めてみたら、なかなか自分としてはうまく書けていたテキストがあった。
おお、何ということだろう。二行になった。半分以下、というか1/3くらいだ。つまり70%くらいは補足だったということになる。ほとんどいらないじゃないか。これが切れ味鋭い文章ということか。いや単に贅肉が多すぎただけだ。
しかし人体の水分の割合は新生児で75%ほど、成人男性で60%ほど、と今調べたら書いてあったので、人間にとってこの水分が必要であるように、自分のテキストにとってもこの補足の部分は必要なのかもしれない。そうではないのかもしれない。
考えてみたら、これは入れ子構造になっていると考えることもできる。元の文章というか文脈があって、そこに補足が入る。補足というか派生した別の思考というか。そして元の道に戻ってくる。しかし、本当はこの補足という新しい流れにも、さらにそこから枝が生まれる余地があるのではないか。しかし今の文章構造というか記述方法ではこれを捉えることができない。これを表現することができない。
では別の記述方法ではどうだろうか。マインドマップのように書けたら良いところだが、残念ながらそれは難しいので、インデントで表現してみようか。最初の段落の文章を題材に。といってもこの書いている場所の制約として空白によるインデントはちょっと面倒くさい感じがするのでロングダッシュをそのまま流用しtメイル。
昨日何となく昔のポストを
——前回のポストでこれからは「ポスト」と呼ぶことにしようと一旦はなったが今自分で書いてみてあまり納得していない感じがするので改めてこの呼称の問題については考えたい
眺めてみたら、なかなか自分としてはうまく
——上手くとはなんだ?別に上手い下手を考えて書いているわけではない、いうとしたら「自分としては良い」いや「感じるものがある」くらいか——
書けていたテキスト
——やっぱりテキストと読んだ方が意味性がなくていいな、でもテクストとか呼んじゃうのはちょっと気が引ける
があった。
これにさらに枝を足してみる。
昨日何となく昔のポストを
——前回のポストでこれからは「ポスト」と呼ぶことにしようと一旦
————一旦とはいうが、しかしそれは本当に一旦なんだろうか、というか全てがテンポラリなこの場所で、一旦とは云々
——はなったが今自分で書いてみて
————そもそも自分で書くとはどういうことだろうか、書いているのか、書かされているのか、いや自動的に書いているだけなのか、よくわからないのではないか
——あまり納得していない感じがするので改めてこの呼称の問題については考えたい
眺めてみたら、なかなか自分としてはうまく
——上手くとはなんだ?別に上手い下手を考えて書いているわけではない、いうとしたら「自分としては良い」いや「感じるものがある」くらいか
書けていたテキスト
——やっぱりテキストと読んだ方が意味性がなくていいな、でもテクストとか呼んじゃうのはちょっと気が引ける
があった。
とてつもなく読みづらい。まあ意味はわかるが。そして無理やり枝を足したので内容は適当である。この場には適さないが、そういう、つまりそれに適した、要はアウトラインエディタ的なもので、そういうことを書いてみるとまた違った気づきが得られるかもしれない。
コメントを残す