書く実験の記録

#460 内省の影響と文章の質の変遷

最近思っていることをまとめておく。まず最近のタイトルはつまらない。しかし詰まるようにしようとしていないからつまらないのは当たり前だろうとは思う。しかし詰まるようにしていなくても詰まるようになるのが理想であると言う気持ちはあるのかもしれない。そうすると矛盾があるわけではない。

内容については内省的になり過ぎているとChatGPTにも批判された。それはそうかもしれない。詰まるかつまらないかは自分の基準ではつまらない。具体的には後から読み返してこの時いいこと書いてるな誰かに読んでほしいなと思うものになっているケースが以前より少ないかもしれない。

かけている時間を減らしていることはあるし、そもそも詰まる文章を書こうとしているわけでもない。と言うのはその部分についてはタイトルと同じである。しかしできれば詰まるようにしなくても詰まるようになるのが理想であると言うのはこれもタイトルと同じである。つまり自動的にそうなる仕組みが作りたいのである。と言えるのかもしれない。これについては今そう考えただけなので後から考えて同じように思うのかどうかはわからない。

もう一つ内省的に傾いていると思われる理由が、今の流れとして、このテキストを書くと言う作業の前に大体、プライベートな、日記というほどのものではないが昨日何あったっけ、昨日それに対してどう思ったんだっけ、みたいな本当にプライベートな振り返りのメモみたいなものを書いている。それは日記というほどのものではないとかじゃないとかじゃなくて普通に純度100%の日記なのではないかという指摘を受けそうだ。自分もそう思う。でもなんとなく日記だとは思っていない。前日の振り返りだ。

それの名前がなんなのかということは重要な問題ではないのでさておき。と言いつつ自分で書いておきながら思うが名前づけというのは重要だ。プログラミングなんかでも詰まるところ全ては名前づけから始まると言えるような部分もあると考えている。名前づけが適当だと全部が適当になってしまうように思う。

まあ、というのを減らしてみた。これは会話でいうとフィラーみたいなものか。ああ、とか、えーと、とかそういうやつだ。これは癖で「まあ」と書いてしまうところがあるのだが、あまりにそれが多いと冗長で持ったりとした感じになる。冗長で持ったりとした感じを出したい時はそれでいいだろう。でも今はスッキリさせてみたいという試みだ。現に今回のテキストにはこのセクション以外では登場していない。実は一箇所、検索してみたらあったので消した。

そこで今ふと思い出したのだが、もっと横滑りを、話題の横滑りを許容していた気がする。昔は。何が違うのかと考えてみた。しかしそれが正解でもないように思う。あれはあれで、面白いのだが。話題の横滑りというのはうまく伝わるわけがないが、ランダムウォークというかもしくはブラウン運動というか、ランダムウォークとは予測不可能な動きでつまり現在の座標があるとして、そこから次に上にどちらに進むのかが確率的に無作為に決まるということ。この説明はちょっとだけWikipediaを参考にした。

ブラウン運動とは微粒子が不規則に動く現象。じゃあこれはどう違うのか、というと、うまく説明できなかったので検索すると、サジェストされるのでみんな疑問に思っているようだ。

一番上に出てきた説明によると、ブラウン運動とは物理的な動きのことで、ランダムウォークとはより概念的な、物理によらない単語である。つまりコンピューター上でのランダムウォークはシミュレーションに過ぎず真のブラウン運動ではないということになる。まあでもそれでいうとコンピューター上での乱数を用いたランダムウォークも、これは疑似乱数なので、真のランダムウォークではないということになるが。

そして物理現象であるが故にブラウン運動は途切れていない。ということでランダムウォークはより大きく抽象的な概念で、ブラウン運動はそれに包含可能な単語ということかな。違うかもしれないが。

2024-08-17

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