書く実験の記録

#479 動くか描くか

ジェネラティブアートという言葉ある。生成的なアート。狭義には、コンピュータープログラムによって描かれるスクリーン上の作品のこと。ProcessingとかopenFrameworksとかのイメージが強いだろうと思う。

けれども広義に考えれば、少し広げて考えると、コンピュータープログラムによって描かれる先がまずコンピューターグラフィックスに限るのか、というとそうではないだろう。例えばプログラムによってペンプロッターを動かして紙にペンで描くものが生成的ではないかというとそんなことはないだろう。

では次に、そもそも描く必要があるのかということだ。コンピュータープログラムによってペンプロッターのようにモーターを動かして何かの動きを行う。これは生成的なのか。ペンで描くのが生成的なら、動くだけだって生成的だ。パフォーマンスアートと彫刻、キネティックアートとも関係するだろう。

ちなみにここまで書いていて言い訳をすると、私はアートについて語る専門家ではないので、学術的な定義や存在する議論や理論、などについて詳しくはない。あくまで作る側、そしてプログラミングを書く人間として、の視点である。なので学術的には間違っている部分もあるかもしれない。

そして、最初に書いた形式の場合はスクリーン上に描画するわけだが、それがLEDであったり、また音であったり、そういうものだったらどうだろうか。そしてまた、霧のような形のないものだったらどうだろうか。

他にも考えてみると、だいたい乱数を使うのだが、それは基本的には疑似乱数である。それはいいのか?もちろんそもそも乱数の有無が問題なわけではないが。

などと考えていくと、どれが良くてどれがダメ、というのは難しいし、その難しさ、危うさが面白いのかな、とは思う。もちろん、これは流石に全く生成的ではないよね、というものもある。のかもしれないが、コンピュータープログラムが描くものが生成的で、人間が描くものが生成的ではない、というのも、よく考えればそこに何の違いがあるのか。いや意図の話と思うと違いはあるが。意図とは何かみたいなところを掘り下げるべきか。意図がない人間の動きは生成的なのか?

2024-09-07

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です