書く実験の記録

#481 見えない高さに気づく時

ああ困った、ぼーっとしている間に3分が経過してしまって、あと2分しかない。あと2分の間の何を書くことができるだろう。

最近、視座というのが非常に重要だと思っている。今頃気づいたというか、もちろん大事なものだとは思っていたが、その重要度の認識、順位が上がってきたというか。

しかしそれはあらかじめ高い視座を得られるかどうかというのは必ずしも本人の努力によって成し得るものだけではなく、というか努力の手前にあるようなものだと考えていて、多くの場合は初期位置というか土台の部分は外部から与えられるものが多いだろう。つまり環境要因だ。

もちろんスタート位置からどう視座を維持するのか、高めていくのか、というのは本人次第で変わる。しかし本人次第だけで変わるわけでもない。それにスタート位置というのはもちろん重要だ。

問題なのは、トラックに立ってヨーイドンする陸上競技だと、あらかじめ自分より前にいることがよくわかる。だけど視座の高さというものの初期位置というものは非常にわかりづらい。わかるようになるのはもっと後になってからだ。

結局のところ帝王学のようなもの、そして貴族のようなもの、支配層というものにも、それが良しにつれ悪しにつれ、というか悪いだけではない良い意味もそういう意味ではあったのであろうと思っていて、そして今はその違いというものが昔より見えなくなっただけである、というのはよく格差論で語られるところだ。

2024-09-09

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