書く実験の記録

#482 結果を追わない継続

継続は力なり。というけれど、それは今の時代でも通用するのだろうか。という問いかけをしてみる。もちろん、基本的には意味があると思っている。いきなり真面目な話になりそうだが、こう思ったのは他でもない、このテキストについてだ。

いつもこれを書き始める前に、一覧を見る。一覧の、前回書いたもののタイトルを見る。そこには数字がある。前回のものは481だ。今回は482だ。これ以前にもnoteで書いていた時期もあるのでそれ以上に500~600くらい、もしくはもう少し多く、何かを書いていることになる。

これは継続ではないかどうか、というと、継続だと言って差し支えないだろう。この481は毎日では別にない。ある年は1年間に100ポストする。ということをしていて、今年はなんとなく、100を超えてもまあもういいか、ということにしている。

したがってこれを継続とみなすかどうかということにはいくつかの見方があるだろうが、まあ一旦継続しているとみなすことにしよう。

継続はクリアした。では力なりは、どうか?力ってなんだろう。こちらはもっとわかりづらい。というか、やはり何をどのように継続するかによって、力なり、も変わってくる。

あと、結果なり、ではないことも重要かもしれない。力にはなるが、必ずしもそれは結果にはつながらない。結果が運に大きく左右されることは、家柄や血筋が少なくとも表面上は意味をなさないというテイで回っている現在の社会においても、うーん、ここは少し文章の流れがおかしいな。まあとにかく、結果が大きく運に左右されるのはもう皆が知っていることだ。その上で、どうやっていくか。

というか別にそういうことを言いたかったわけではない気がするが、ここでいう力なり、というのは継続という原因に対してのある意味での結果として導き出されるものということわざであって、しかしそもそも考えてみたらこのテキストは結果を追い求めないということが唯一継続を助けてくれる気もしているので、これは危険な思考なような気がしてきた。やめよう。

2024-09-10

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