書く実験の記録

#490 きちんとするために必要なのは記憶

書くことは瞑想であるとはよく言ったものだが実際このテキストもそうなっているような気がする.しかしその瞑想の内容を人に読ませるかどうかというのは難しいところでそしてこの場所というのは積極的に見られようとはしていない今のところはしていないもののしかし見られる場所にあるという意味でその中間の存在であるように思う.

今ここで中間の空間であるように思うと言いそうになったけれどもそもそも別にこれは空間ではない.なぜ人はインターネットの中の何かを空間という風に例えるのだろうか.それは定着したのはもちろん空間というメタファーが適切に人間たちにとってはまった分かりやすかった体だとは思うでもなんでだろうか.

哲学者の東さんがそういえばそんな本を書いていたなということを思い出した.

最初に書こうかなと思ったことに話を戻すが例えば嫌な感情というのは喜びの良い感情よりも長くを-強く残ってしまうものらしい.だから朝起きていろんなことを思い出したり仕事のことを思い出したりしてもしくは人間関係みたいなもの思い出して嫌なことがあったとしたらそれはすごく強く残ってしまう.

残念だ.

声が大きいとはどういうことか.大きいというのはそのことを示すとは思うがことをテキストのやり取りメッセンジャーのやり取りであれば声が大きいとはどういうことだろうか.もちろん文字自体に大きさは変わらないので強調などすればいいのかもしれないがそういえばどこかでそんな笑い話を見たような気がする.

誰かが強調し始めてそうするとみんなどんどん強調して強調したテキストばかりになってしまったというような笑い話だ.

そういう笑い話はさておき強調するということは難しいして実質できない声が大きいということを表現することはできないのでそうすると頻度と内容というものになるだろう.難しい.

全てを忘れてしまうそれが人間であるという風に仮定する.もちろん全てを忘れるわけではないんだけれども全て忘れてしまうのだと思うぐらいの期待値で誰かと接する方がいいのかもしれない.おっとこれはややネガティブな感じになってしまったけれどもこういうのはあまり望んではいない.

もれ出てしまったから白状するけれども本当に人間というものは何も覚えていないのだなと思ってしまうことがあった.どれだけ性格がきちんとした人だとしても結局極論すれば覚えていなければ何も仁義を通すことはできない.

誰々の世話になったとか誰々のおかげであるみたいなものっていうのは結局そのこと自体を覚えていなければどれだけ律儀な性格の人であっても何かをすることはできない.つまりかなりの部分記憶力に頼っているのだ.きちんとしているとか仁義を通すというのはまず大前提記憶があるということをなのである.

まあもちろん本当にきちんとしている人は人間のそのような特性をわかった上でメモに残すだろうが.

2024-09-19

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