書く実験の記録

#497 信頼と言葉の自由度

書こうと思えばかけるね例えない色々あるけれども実際に書こうとするかそれが書くに値するのか書くのに適しているのかというところがおおむね一番大きな課題になってくる.

信頼していて何を話しても大丈夫な人に対して何も話すことがないという人は少ないだろう.もちろん何だろうな別に何も話すことはないけれども信頼して一緒に時間を過ごすことができる相手というものをして否定しているわけではなくて.とにかく心理的安全が保たれた場所とそうではない場所というものは色々なその出せるネタというものが変わってくるのではないかということを思っているわけである.

当たり前の話だけれどもプライベートな日記に人間が書くようなこととパブリックの場所に書くようなものは全く違うだろう.そこを気にせずかける人もいると思うがそれはそれで別の問題があるようにも思う.

だいたいメタの話をする時って逃げている時だと思う.本当はもっと具体的に言いたいことや書きたいことがあったにもかかわらずそのことを躊躇したりしてしまって何かメタなことを言ってお茶を濁すというのはまあ例えば自分が文章を書く時でもそうだろうし何かミーティングとか誰かと話している時とかにもそういうことはあるのではないだろうか.

集中力が途切れてしまった.具体的に言うとこのように入力しているエディターから離れて別のアプリケーションがそうだな 今思い出すと Slack を見てしまった.良くないね現代人の集中力のなさ3万になるところ細切れになるところまさに象徴している出来事だ.

非常にランダムな会話をしているというか話をしているわところになんとかだと思うみたいなことを全部取ってもうちょっとシンプルに歯切れよくできないか.ないだろうかとか何々なのではないだろうかと思うなど思うなど思うがどうだちょっと噛んでしまった.

と思うのだがどうだろうかみたいな歯切れの悪い語尾にしてしまうのは自分の弱さである.

2024-09-26

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