#498 許容とその境界

アイムオーケー、ユアオーケー、という話を聞いた。自分を許容し、相手も許容するということらしい。それを聞いた時に、許容とはなんなのか、何を許容して何を許容しないのか、またその境目がある以上OKじゃないんじゃないか、しかし本当に全てを許容してしまうと自身も社会も破滅してしまうのではないか、などと思ったものである。
しかしそもそもそれ自体が間違いなのだと。そんなふうにきちんと考えるのではなく、そもそもそれすらも緩やかで曖昧に受け入れるのがOKなのだと。うーんなるほど。
確かに、どう考えてもこうあるべきだし、そのために何ができるのか考えるべきなんだけど、なぜかそうならないという時はある。今こうなってます、という現状分析はするけど、なぜそうなっているのか、それはネガティブなのかポジティブなのか、もしネガティブならそれを変えるにはどうしたらいいのか、ポジティブならそれを維持し拡大していくにはどうしたらいいのか、を考えるべきじゃん、と思ってしまうことはある。
しかし正しさというのはほとんど役に立たない。本当に役に立たない。なぜなら——といえるほど真理を知っているわけではないが観測してきたことをあえていうならば——人間は本当に論理的な存在ではない。程度の差はもちろんあるが、多くの人は、そして論理的であってほしい立場の人ですら、多くは論理的ではない。
2024-09-27
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