#541 記憶と考えの散歩道

ものすごく神経質になっているというほどではないけれどもある程度は何というかインターネットというものを長いことやってきた経験に基づいて言うべきではないことは言わないようにしていると思っているし個人情報に繋がるようなこともう出さないようにしてるように思っている.
もちろんそうは言ってもきちんと情報を調べられることをされてしまえば私が住んでいる都市がどこかというのはもちろんわかるだろうしそれはまあほぼ公開情報なわけだけれどもオフィスがどこかということもわかるだろうしそうすると行動範囲みたいなものも一部大まかには割れてしまうだろう.
まあそういう細かい話をしたかったわけではなくてそもそも何の話をしたかったんだったかな.困ったことにこれが全く思い出さない.
書き方については色々な書き方が自分の中で生まれていて.生まれていてと言ってもそれは世界で初めて自分が発明したということを言うつもりがあるわけではない.様々な情報今までにインプットしてきたあらゆる情報や環境に影響されてそのように何か自分の行動というものはほぼ決定されているし自分が考えることというのもほぼそれに影響されて決定されていると考えているので自分がやってることが何かのオリジナルであるということを主張したいわけではない.
そのような前提を踏まえつつも何かふと自分で思いつくということによって文章の書き方というやり方をいくつか自分の中では持っている.
その中の1つに何かこう目的地を定めるということをせずに結論を定めるということをせずにしかも1つの話題に絞るということもせずになんとなく横滑りしながらどんどんそうだな連想ゲームのようにもしくは散歩のようにどこに向かうかわからないルートの決まっていない散歩のように文章を書いていくというやり方がある.
これは確か誰か文章を書いている人の本人もそういう書き方があるよというそういう書き方をしている部分があるよみたいなちょっと何を書いていたのか全然思い出さないけれどもそういうことが書かれていたことがあるのでもちろんこれも完全に私が世界で初めて考えたのであるなどということを言うつもりがあるわけではなくて.しかし自分の中では気づきとしてそういう方法が自分の中にあるのだなということに気づいたということになる.
そもそも今のように上に書いているように私がそれを思いついたわけではないですよみたいな前振りというか前提というか言い訳というか安全のための言葉みたいなものは自分はとても入れてしまいがちでこれは冒頭にあるインターネットに対しての神経質さというものにもつながってしまっているように思う.
ある種の臆病さだということもできるだろう.しかしそれは文章を冗長にしてしまう.あらゆることを補足したり言い訳したりカバーしたりしていくとどんどん全力がついていて元々言いたかったことはどこかに行ってしまうし外からは全く見えなくなってしまう.
ということもどこかの本に書いてあった気がするのだが基本的に自分はどこかの本に書いてあったなぐらいのことは覚えているがそれがどの本に誰が書いたのかということまではあまり覚えていないことが多くてそういうことをバシッと頭から引き出してくれる人は本当にすごいなと思うんだけれどもまあとにかく自分はそれが苦手であるのでそういえばどこかの本に書いてあったかもしれないなぐらいのことしか思い出せない.
だからあらゆる自分の考えというものを何がオリジナルなのかということを主張することはもはや全然できない.今自分が考えていること今自分が作り出しているものそれが完全に自分のオリジナルであるということは全く言えない.そもそもそれは判断できない.
もし過去の記憶が完全に残っていて完全に引き出すことができるのであれば今自分が走っている言葉のどれが過去に読んだ本やインプットした情報によるものであってどれはそのどれにも該当しないオリジナルの自分だけのものであるということは判断できるかもしれないしそれは自分が作ったものとか作るものとかアイディアみたいに関してもそのように言えることがあるだろう.
しかし自分にはそのような記憶力はないしインターネットを活用したとしても正直言ってまあちょっとググってみることぐらいはできるけれども例えばアイディアについて全く重複がないかということは調べるきるのはなかなか難しい.
もちろんこれはというようにまたこれは補足してしまっているがもちろんそれはお仕事なのかプライベートなのかとかにもよるしその例えばオリンピックのようなものであるとかそういう大きなものなのか例えば自分が今書いてあるこの文章みたいなものは全くその重要性は違うのでこの文章のどこかに自分が思いついたと思ってるともしかしたらどこかで呼んだだけのものということが書いてしまっているかもしれないがそのことを気にしてなくてはいけないそのことを気にしなくてはいけないという度合いとオリンピックの何かを気にしなくてはいけないということの度合いは全く違うと思うので全てが同じように思っているわけではない.
けれどもやはりとにかく前提として記憶 から全てをその重複を引き出す調べるということもできないしインターネットを活用したとしてももしくはその図書館とかそういうあらゆる資料を活用したとしても何か本当に重複がないかということは誰にも100%判断ができないけれどももちろんその100%判断するための努力をしたよということが大事なんだということは分かりつつとにかく100%判断することはできない.
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