書く実験の記録

#546 幸福ではないことを望む幸福/活動に影響を与える不調/本と偶然性と必然性

個人の幸福追求の限界.自分はきっと幸せにはなりたい.幸せになりたくないのかどうかと問われれば乗りたくないかなりたいかと言われればそれはなりたいよねと答えるだろう.そうではない人もいるかもしれないしおそらくいるだろう間違いなくいるだろうと思うがしかし多くの人はそう答えるだろうし自分もおそらくそう答えるだろうと思う.

しかしこの場合の幸せとはそもそも何なのかということは別に定義していないので実は誰しもが幸せになりたいすべての人は幸せになりたいのかもしれない.なぜかといえばのぞみの方向望んでいる方向という風にそれを言い換えるとするならば例えばもし幸せにならないということを望んでいるとすれば幸せにならないことが幸せなのではないかなどということを今思ったのである.

肩こりの対策をしている.元々肩こりがひどいタイプでそれが何が原因なのかあまりよくわからないんだけれども色々対策は講じていてしかし意味があるのかないのかよくわからない感じでいずれにしても完全に収まっているわけではない.

何もしないよりはましたと思っていて頭痛薬をひどい時は飲むしというか肩こりの結果肩こり自体はそんなに問題じゃなくてまあ首が痛かったりとか頭が痛かったり目が痛かったりなってそれが何かこう活動に差し支えるような場合にそれを何とかしたいと思う.

正直言って肩が凝っているのはだけだったらそんなに被害はなくてその頭痛に繋がっていなかったりするような肩こりの場合はそんなに被害はなくてしかもそれを活動したいという時でなければ寝ればいいのでそんなに問題もない.

結局のところ肩こり自体ではなくてそれが他のことに影響を加えていてそれがさらにその活動に影響を与えているという時にそれが問題になるのであろう.問題になるのであろうというよりはまあ問題になるのである.

思わぬ本との出会い.何回も同じようなことを言っているけれども本を読んでいるとこれは今自分がまさに読むべき本だったんだなという風に思ってしまうことがよくある.最近読んだ本の中にもう一つそういうものがあって.いや最近というもののレンジをどこに置くのかどの範囲にするのかによっては1つとでは言わずに一つとは言わずにいくつかそういうこともあった.

入力をしていたら消えてしまった悲しい.もちろん占いというものは例えば誰しもが自分に当てはまっていると思ってしまうような言葉遣いというか言葉選びというか内容だったりとかそういう感じはあるのでそれ自体が必ずしも何か超常的な現象が起きているというわけではない.いやこう言い切ってしまうとおそらく齟齬はあってまあなんだろうそういうこともあるんだろうがそうじゃないこともあるんだろうが1つの手法としての例えば占いの文章というのはそういうこともあるということにしておこう.

同じように本というのもまあ読んでいたらそれはたくさんの文章が入っている1冊の本にはものすごくたくさんのことが書いてあるわけなのでその中のわずか一節みたいなものは当然自分にこれを当ては。んだと思う部分ぐらいそれはあったりするわけだ.

今気づいたらタイマーをかけ忘れていた.おおむねこの作業をする時には2つのタイマーをかけている.いやタイマーというかはタイマーじゃないものも含まれるんだけれどもまずそのどのくらいの時間が経過したのかということを記録するそういうタイマーというかストップウォッチのような動作のもの.もう1つは本当のタイマーで例えば5分10分というところにかけている.

5分で内容を書いて残り残すんで投稿するのだ.ところが今気づいたらその全てのそれらのタイマーを全て書き忘れていてこのようなことはあまりないので驚いてしまった.

音声入力で自分の滑舌の悪さを感じる.音声入力をしているとうまく入力ができない時があるしうまく入力がされないような発音がある.自分がそういう発音をする時にいかにそれをサボっているのかなということがわかる.これはだから滑舌を良くしてしゃべるトレーニングでもあるのかもしれない.なんとなく頭の中からつらつらと文章が出てくるという練習なのかもしれないし.アドリブを聞かせるというほどいいものではなくてただ無意味な文章というか無意味の言葉のつながりであるとか大した内容がないけれどもそれを水増しして何か時間を少し増やしてしゃべるとか先生そういう能力でしかないのかもしれないけれども.そう言ってる間にまさにまた間違った変換をされてしまっていてそれが全く発音が同じでそれが間違った変換されてしまっている時というものは正直言ってその変換をする機能の方の問題というか問題というのもおこがましくてというかおこがましいという言葉も適切ではないがとにかく問題だということは適切ではないけれどもとにかく変換のミスってしまうということは仕方がない.

適当に文章を入力したからかなり適当な文章になっている.という文章自体も何という適当なものだろうか.ひどい道後反復だ.

まあとにかくこの音声入力をするというのは自分の発音話し方というものがいかにサボっているのかということを感じる瞬間があるのでそれに気づかされるということであるとかいくつかのポジティブな効果はあるんだろうという風に思っている.ということかもしれない.

2024-12-05

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