#547 なんとなく広がる読書の幅と論理思考の不安、そして鉛筆削りのコストをめぐる注釈まみれの思索

数日試しているスタイルはなんとなく思いついたジャンプしたテーマみたいなものをぼちぼちと書いていって.それを最初に並べて書いておいてそこに肉付けしていく.個別に肉付けしていくスタイルである.
最近は少し読む方の幅を広げてみていてそれはまあなんとなく感覚的なものもあるし同時に少し考えてやっている部分もある.論理的な思考というものやその意味や価値みたいなものに最近不安になってるのだ.おそらく.
しかし創造性の部分も論理的な部分もとにかくいずれにしても思考という部分についてもし価値が0になるとしたら.いや価値が0になるということはなくてむしろ価値が高いからこそコストが0になるとしたら.みたいなことはやはり考えなくはない.
例えば自分自身がもしくは自分の周りでもしくは自分が関わっているプロジェクトでそうだな 例えば A という作業が発生するとする.それは何でもいい.鉛筆を削るでもいいしプログラミングをするでもいいしデザインをするでもいいし.とにかく何かの仕事が発生するとする.
そしてその作業は通常は誰かにお願いしているとする.例えばこれはもう想像の世界というか 例えば 架空の世界だと思って欲しいが.鉛筆を削る作業は1時間100円だとする.これは最低賃金が云々ということはまあもちろん分かっているが分かりやすさのために100円という単位にしてるのであってあくまでも架空の世界である.
こうやって何かを書く時に無駄に注釈を入れてしまうことであったりとか入れすぎてしまうことであったりとかそして文章に全肉がついて冗長になっていく部分についてはちょうど最近読んだ本の後がきか何かにも同じようなことや悩みが書かれていてそれはまあその特有の文脈みたいなものがあったんだけれどもまあ自分とは今の自分とはもちろん違う文脈なんだけれども.
いやもしかしたら違う文脈ですらないかもしれなくて究極的には誰か他者からの批判を恐れているということに帰結するのだと思う.
話を戻すが例えば A という作業が鉛筆を削る作業が100円であってそれを通常今までは誰か外の人に100円でお願いしているそしてそれは100円でお願いできているとまあ仮にする.
そうするとその仕事をもし久しぶりに自分がやりたいなと思ったりスキル的には興味があったりする場合でもそれをやると採算が合わなくなったりとかプロジェクト自体の採算が合わないということもあるしいやコストダウンになるんだから採算というものはないだろうみたいなところはあるけれども.
例えばそのプロジェクトに通常自分の単価が200円だとする.1時間200円.それは指示する側として鉛筆削りを手術するワードして200円をもらっている.変換がおかしい.やり直し.
鉛筆削りを支持する側として200円もらっているとする.それがある時今ちょっと手が空いてるから自分も鉛筆を削ろうかなと思ったとする.でも自分が鉛筆を削ると鉛筆を削るコストが200円になってしまう.
選択肢は2つ.200円で鉛筆を削るか.もしくは自分のコスト100円に下げるか.しかも普段から鉛筆を削っている人に比べて自分が鉛筆を削ることがうまいかというと必ずしもそうとは言えないだろうし同等レベルならまだしも毎日鉛筆を削ってる人と毎日鉛筆を削っていない人だと当然鉛筆を削っている人の方が上手いだろう.
であれば自分は100円の価値も出せないということになる.
コメントを残す