#558 感情で選ぶ練習、ルールを手放すための小さなリハビリ

例えば自分一人でどこかの飲食店に行った時食べたいというか気になるメニューが複数あったとしてどちらにしようかなと悩む迷う.もしくはそもそも飲食店に行く飲食店を選ぶ時点で例えば複数の候補があってどれに行こうかなと迷う.
他にも何か複数の選択肢があって迷ってしまうということはたくさんある.あらゆる瞬間で人間は選ぶということをし続けているというのはどこかで聞いた言葉だが実際のところ何かを選ばないとしても選ばないということを選んでいる.
そんな壮大な話をしようと思ったわけではなくて単純に例えば飲食店で複数の選択肢があってそしてどちらにしようかと考えた場合私は迷ったら新しい方に行こうというルールを決めている.
常に新しい店にしか行かないということではない.そもそもそれはもちろん選ぶということはしてるんだけれどもではそこにどれにしようかなと迷ったり悩んだりつまり同等に近しい選択肢がある場合とそうではない場合はある.
選ぶために考えてる瞬間というものはもちろん瞬間というか時間というものはもちろんあるんだけれどもそれが意識上に上がって今自分はどちらにしようか一定以上の時間考えてしまっているなあと思うこともなくて今日はもうこれを食べたいとかこのお店に行きたいとか.
もしくは何でもいいから目の前にあるお店に入りたいとか.そうやってパッとすぐに時間をかけずに決められる時は何の問題もないしそれでいいだろう.そうすると昔行ったことがあるお店でもそうやって今日はやっぱりこのお店に行きたいなと思う事っていうのはある.
自然とリピートしているということになるだろう.
一方でいくつかの選択肢の中で迷いが生じている時というのはそうだなもちろん人生を左右するような大きな選択とか仕事上の重要な選択であるとかもしくは仕事でなくても重要な選択であるとかそういうものは単純にパッと決めることができない.
だけれどもどちらの飲食店に行くのかもしくはどちらのメニューを食べるのか食べるというのは多くの場合は取り返しがつかない選択ではない.そうだなもちろん旅行先などで二度ともう来ることがないだろうなと思うような場所の場合はそれなりに悩んでしまうだろう.
しかしこのルールを決めているというのは良いことばかりではないと最近気づかされたことがあってそれがかなり新鮮だった.ルールを決めるというのはまず考える時間を減らすための方法である.迷っている時間がもったいない.
つまり自分はもったいないなと思うほどにどちらか迷ってしまっていたんだということだろう.それは飲食店に関して言えば自分は食べることが結構好きだから美味しいものを食べることが好きだからどちらも欲しくてどちらも望ましくてそして迷ってしまっていてそこにだから味以外の選択肢味以外の判断軸を入れたということが自分としては重要で新しかったそしてそれはすごく役に立った.
おいしただけで言うとどちらも美味しかったりするわけだがどちらが新しいか自分にとってどちらが新しい情報が得られるのかという判断だと結構その軸とは別の判断軸を得ることができる.だからもし美味しくなかったとしても正直言って新しい情報を得ることができたということで評価することができる.
しかしこのようにルールを決めてしまうということは感覚とか感情で物事を決めるということを機械を減らすということになる.そういう練習をする機会を減らすということになるというのはその他の場面でも感情によって判断しなくてはいけない正解がどうしてもないようなものに対して感覚とか感情で判断するべきそしてそれがおそらくそのようにすることが良いものである良いとか悪いとかいう話ではないけれども今悪いものではないということに対してしかしそのような練習を日々怠ってしまうというかそういう機会を減らしてしまうということになりかねないということに最近人と話していて支度指摘されてそれがなかなか面白い気づきであった.
ルールを決めているのも例えば服を毎日悩まなくていいようにするというのもルールベースで論理や効率でものを選べるようにしているということになるのだがまあこのような選択をいろいろやってきたというかそのようなことを色々試してきたけれどもここ俺に関しては自分にとっては少なくともどこかで限界があるという風に思っている.つまり感情で物事を判断するということの重要性が自分にとってもそうだし自分にとってそもそもそうであるしこれからの自分にとってこれからの世界に生きる自分にとって重要なのではないかとそれこそ感覚的になんか思っているということになるだろう.そういうことにここ最近取り組んでいると言えるのかもしれないしこれはある種のリハビリの一つであるようにも思っている.
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