書く実験の記録

#559 感情の記憶、非可逆圧縮、ベクトル化

この人の文章は面白いなとか、感情に訴えかけるなとか、あまりそれらは定量化できるものではないのだけれども、そして万人に同じ影響を与えるようなものではないのだけれども、つまり「なんかいいな」と思う文章を書ける人がいる。

書ける、というか書く人がいる、かな。とにかく、最近もまたそういう文章を見て、そして今日は私の最近書いたものを見て、なんかあんまり面白そうじゃないなぁ、と思ったのである。

しかも、だ、私はその人の文章を、今回はタイトルしか見ていない。SNSに流れてきたタイトルと、サムネイル画像だけだ。サムネイル画像がどんなだったか、タイトルがどんなだったか、ということは実は今は何も覚えていないのだけれども、しかしその時の感情は覚えているということになる。

この、内容は覚えていないけれども、感情は覚えている、というのは実はすごく重要な示唆なのだと思う。アウトプットというか結果でしかないとも言えるが、結局一番重要な部分はそこなのだとも言えるし、情報が折りたたまれているというか、畳み込まれているというか、ベクトル化されているというか、なんかそういうものなような気もする。

もちろんここでいう、畳み込みとか、ベクトル化というのは、数学的な意味に正確な言葉として使っているわけではない。しかしことベクトル化というのは何かうまく表現している部分もあるように思っていて、いわゆる言語モデルではものすごく雑に言ってしまうと単語をベクトルとして扱うわけだが、ではそのベクトルのみからその単語に戻せるかというとそうではない。もう少し細かくいうと単語ではなくてトークンである、という指摘などはあるだろうが、「ものすごく雑にいうと」というところで見逃してもらうことにする。

とにかく、何かあったこと、得た情報、そしてそれを自分のその時点でのその瞬間の身体(脳を含む)で処理したものが感情である。そしてその感情は覚えている。しかしその感情から元あった事象を復号することはできない。これは単語のベクトル化と同じである。ベクトルから単語に戻すことはできない。圧縮されているので。

つまり感情とは圧縮である。情報の圧縮。しかも非可逆圧縮である。すべての事象を覚えておくことは普通はできないので、非可逆圧縮されたもの、ベクトル化されたもの、としての感情を覚えているのかもしれないと思った。

そしてこのベクトル化というのはもう一つ良い表現なのではないかと思ったポイントがある。感情はベクトルであると思うからだ。つまり、感情というのは例えば嫌だとか好きだとか、もしくはもっと複雑な高次元の感情であるとか、とにかくいずれにしても人間に何かの行動をさせるための方向を示している。

美味しいならもっと食べたいしまた食べたいし、嫌なら逃げたい。痛いことからも逃げたい。嬉しいならまたやりたい。行動の方向を示す、方向と大きさを示す、それはまさにベクトルなのではないかと。そんなことを思った。

2024-12-21

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