#572 キーボードの触感が突然変わる/書くことの内的と外的な影響

これはある意味では面白いしある意味では全然面白くないことを書くのだが、去年結構な頻度でこれを書いてみてわかったことはいくつかある。まずどのくらいの頻度で書いたかというと、1年間で267記事だったように思うので、267/365*100=73.1506849315、つまり約73%である。
1日にふたつ書いたことはないので、73%の割合の日でこれを書いていることになる。個人的にはむしろ、27%も書いていない日があるのか、ということに驚くくらいだ。毎日絶対に書こうとは思っていなくて、ほぼ毎日、と書いてみたがそこまでも別に思っていなくて、まあなんとなく可能な範囲で書けたらいいなと思っていたが、そこまで書けるとも思っていなかったし、一方で数字だけを見ると27%、つまり98日もかかなかった日があるのか、なるほどな、という気持ちになる。
書いていることを外に出しているという側面と、あとはこれを書く時間自体に価値があるというか、目の前の仕事や、少し先の意味や価値のあることにフォーカスしがちな日常において、意味や価値に重きを置かないこの活動というのはある種のマインドフルネス的な活動なのかもしれないとは思う。つまり繰り返し言っているように書く瞑想なのかもしれない。
面白いのは、書いた内容をLLMに読ませて色々質問すると、自分でも気づかなかった自分の一面などが見えてくることだ。これはカウンセラーにいっぱい話すのと同等かそれ以上に情報が出てくる場合はある。
一方で、継続していたら何か、内的なこと以外にもいいことがあるかというと、特にそんなことはなかった。一年間を通して、Substackの購読者数はほとんど伸びていないし、リアクションやインプレッションも増えていない。後半のある時期から試しにTwitterに流してみるようにもしてみたが、その傾向は変わらない。
そう、続けていけば成功する、みたいなものとは少なくともこの一年間は無縁であったということがデータからはわかった、ということになる。
今突然違う話をするのだが、時々急に、身体感覚が鋭敏になることがある。いやこれが鋭敏なのか、違う感じ方をしているのか、ということはわからないが。具体的にいうと、今なぜか、普段とキーボードを打つ触感が全然違う。指が感じているキーボードの押した感じ、押し戻される感じ、がいつもと全然違う。
今回に限っていうと、いつもより解像度高く感じられているように思うので、鋭敏になっていると言っていいだろう。他にも例えば、突然いつもの環境でいつもの音環境なのに、いつもより音の解像度が高く聞こえてくることもある。いつもと違う音が聞こえてくることもある。なんだろうか。こういうのは面白い。
キーボードのいつもと違う感触を感じながら、話を戻そう。そう、よく、毎日何かをアウトプットしていくと、ないか外的な接触において変わるという話もあるが、もちろんそれもあると思うし、今これはあるとかないとかいう話をしたいのではなくて、少なくとも2024年のこの活動においてはそんなことはなかったよ、ということをいった。
そしてさらに話が飛んでしまうが、キーボードの触感がまた変わった。なんだろう、先ほどまでは平面を推している感じだったのだが(キーボードの面を押しているので事実として平面なわけだが)今度はなんだろう、うーんこれはなんと表現したらいいのかわからないが、少なくとも平面を推している感じではなくて、なんかもう少し尖ったものというか、線?平面ではなくて線?なんか変な感じだ。ちなみに別に変な薬物はやっていない。
元々、完全にクローズなものを書くのとは違う何かを試みたかったということもあり、この場所を作った。しかしそうは言っても、たくさん読まれることを第一の目的において書いていたわけではないし、今もそうではない。どちらかというとまずは内的な要素が強い。
しかし、当然、それならば完全にクローズにすればいいのだけど、そうではないというのは、それを外に出してみるということの何かの自分自身や行為への影響みたいなものも試みたかった。
外に出してみるのは、なんであれ恥ずかしいものだ。でもだんだん慣れてくる。駄作を作り、出す勇気だ。立派な駄作である。前提として、そもそも誰も読んでない、という心意気がある。
ちなみに、ありがたいことに誰も、ではなくて読んでくれている人もいるので、そのことがまた別の影響を与えているようにも思う。
そしてTwitterに流してみたけれども、それはほとんど意味をなしていない。サムネイルが出ないのとかも気にしないようにしているし、地味で目立たないのだろう。そしてそれを今のところはことさらに目立たせようとする実験はしていないし。
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