#584 なぜそれをするのか / 作品という言葉

何かをすることもそれを実現することも簡単になっていくとしたら結局はなぜそれをするのかということが大事だしそこに価値が出てくるというかまあ出てくるというかすでに高いんだけれども相対的にその部分の重要性が今まで以上に増してくるような気がしている.
というのも最近身の回りでそう思わされることがあったからであってまあ具体的には言及しないんだけれども.うーんまあなかなか具体的に言及せずに抽象的に言おうと思ったがなかなか難しいな.
まあとにかく自分ではなかなかうまくいかなかった壁みたいなものがあって.それをうまく乗り越えられている事例みたいなものを見た時にどこに違いがあるのかと言うと文脈の有無というか.
まさに自分自身もそのうまく乗り越えられた事例を見てこれは確かに何かこうエモーショナルな何かをしているなぁと.つまりもっと平たく言えば自分自身も何かこれは感情を刺激されるようなものがあるなと感じたわけで.
結局大事なのはそこなんじゃないかと思わされたということかもしれない.
話は変わるけれども何か作品という言葉がある.これは素晴らしい作品ですねとか.これは私の作品ですとかね.もしくは広告案件みたいなものを.みたいなものっていうのは言葉の綾であってこれは下げて言ってるわけではなくてとにかく広告案件とかそれに類するものを作品と言ってしまうのをわかるというかそれはあまり良くないとかそれは別にいいんじゃないかとかそういう議論もあったりする.
もしくはこれは作品として成立してないよねみたいなそういう言い方もする.
まあなんかいる色々あるんだけれどもそういういろんなものを見るにつけて自分自身というものはその作品というものをあんまりにも結果的に大層なものとして捉えすぎているのではないかと最近思うことがあった.
平たく言ってしまえば作品とは作ったしなである.品を作る.作られたしな.まあそうなのかもしれないしそうじゃないのかもしれないし.気になったんで試しにググってみよう.ググってみると製作物普通は芸術活動によって作られた政策物という風に書いてある.
なるほど芸術活動によって作られたものを普通はさすということだね.とは言ってもじゃあ芸術とは何なのかみたいな話になってくるともう手に入る話ではないので手に負える話ではないのでまあちょっと割愛するというかそこの議論を回避するけども.
手芸みたいなもので何かちょっと作ってそれを例えばそういう手作り市みたいなところで売ったとしてもそれは作品だと言っていいと私は思うしでもそれは芸術なのかどうかっていうことを議論すればそれは芸術じゃないという人もいるのかもしれないけれどもでも作品じゃないかって言うと作品と言ってもいいような気はしている.
自分が何かを作った時にそれが本当に芸術なのか芸術足りるのかみたいなことを考え始めると例えばちょっとしたスケッチであるとかまあ例えばテクノロジーの文脈で言えばちょっとしたプロセッシングのスケッチであるとかそういうものをこれは私は作品ですっていうことに私はすごくまあいろんなことを考えてしまうとなかなか抵抗があるというか勇気が出なかったりする癖があるんだけれども.
自分はそこに何を考えているのかということは長らく気にしていて別に作品というのは作った品なんだからまあ間違いなく作っただろうみたいな気持ちはあるけれども.しかし非常にプリミティブなものから作ることばかりではないというかほぼほぼこの世界のテクノロジーを用いたものづくりの何かしら100%と言ってもいいだろうがプリミティブな何かに触れるという機会はなかなか少なくて何かしらのすでにある既存のテクノロジーに乗っかっていたりその連携したりとかまあそういうことが多いまあ基本的に技術というのはそういうものだろう.
だからそこの議論が問題なわけではない気がしていてもっと別のところにそしてこれは別に一般論として何かを議論しているわけではなくてあくまでも個人的な内心な問題として何をどこまで作品という風に自分で言うのかみたいなことはあくまでも自分の内心の話なのでそこについてどういう考えが発生しているのかなというのは気になっている.
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