書く実験の記録

#596 なぜを5回聞くこと / AIと共感の境界

その時々によって違うのだけど、前回は何となくメモを引っ張ってきて一番上にメモしてあったことを題材にしてみた。基本的に政治の話とかはしないし、と思っていたがそういう話をしてしまった。しかし特に個別の政策や政党の話ではなくあくまでも民主主義全体というかつまり政治というよりは社会システム全体の話である。

しかもそれほど詳しいわけでもないので薄っぺらいことを書いている。まあそんなことはわかっていて、そういうある種の自分のその時点の愚かさみたいなものも受け入れていこうというのがある種のテーマのであるとも言えなくもない。

話は戻るが普段あまりそういうことを書かないが故にそれから時間が経過してもまだそのことが気になってしまっている。これは違和感と言ったところか。そうだな、つまり違和感がある。

ところで話は変わるがなぜなぜ5回という質問方法?思考方法?のようなものがある。もしかしたら正式名称は違うかもしれない。しかしまあ大体そういう感じの名前のやつ。

これはある種のテンプレートというか良い見本というか良い手法というか、そういったものとして語られいてて、決して悪いものである、これは悪いものだからやめなさい、ということではない。そういうものではない。

しかし現実的に、もし仕事で、例えば上司が部下に、なぜ?と5回も詰めたら、まあまあこの現代においては、パワハラ感が出てしまう。しかしAIであれば100回聞いても別にパワハラではない。

もしかしたらいつか未来にはAIも賢いからダメだみたいなことになるのかもしれない。そうなったら面倒だ。くじらは殺してはいけない。イルカも殺してはいけない。なぜなら賢いから。というロジックの気持ちもわからなくもない。わからなくもない、というのは、その主張に全面的に賛同するということを意味してはいないので念の為。

あくまでも、「わからなくもない」であって。つまりこれは共感である。いや、どうだろう、例えば自分は蟻に共感はしていないつもりだ。しかし無意味に蟻を殺してしまうことには心理的な抵抗がある。

もちろん気づかないうちに踏んでしまっていることは正直いって良くあるだろう。そこまで気にして生きていられているわけではない。しかし意識して殺すことには躊躇がある。まあ多くの人はそうだろうと思う。

しかしこれは共感しているからではない。ありに共感しているから蟻を殺すのに躊躇があるわけではないのだ。じゃあなんなんだ、というのと、AIに共感してAIに何かの権利であるとか、苦痛を与えないとか、そういう考えに至る可能性はあるのか、ということだ。

2025-02-02

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