書く実験の記録

#607 馬に乗る前の速さ / 計算機が生まれる前の計算

人間が馬に乗る前はA さん と B さん という人間がいたとして A さんは B さんより走るのが1.5倍 早いとすると それはすごいことだという風に B さんは 褒められていただろうしそしてそれは実際の利益として例えば馬に乗る前ぐらい昔はどういう報酬体系だったのかはまあわからないけれどもその足の速さに対しての報酬をもらえていただろう.

けれども人間が馬に乗るようになれば一般的な人間より1.5倍足が速いという程度のスピードでは全く馬に勝つことはできずそれまで B さんが A さんに比べて 得ていたものというものはおそらく失われる.

こういったことは歴史上を繰り返されてきてそれが新しいテクノロジーの導入によってなされる破壊的な影響である.今はもちろん大切な生き物なので機械ではないんだけれども馬に乗るということの発明はやはりテクノロジーであると大きく言えばまあそう言ってしまっていいだろう.

計算機の発明によって計算が早いそして正確であるということの能力は実用的な価値を生み出すことはできなくなった.でももちろんある種の芸術だとかエンターテインメントだとかそういったものとしては例えば世界陸上とかオリンピックとかがあるし足が速いことはやっぱり人間に何かしらの感情を喚起する素晴らしいことだ.計算が世界一早いというのも素晴らしいことだ.

それらは価値がなくなったわけではない.意味がないなんてことはもちろん言うつもりは全くない.だけど価値は変わってはいる.計算機が発明される前と後では計算が早いということの価値は変わっている.

もちろん車を作れる能力であるとか計算機を作れる能力というのは当然価値があるしそれは素晴らしいものなので計算機が出来上がったから人間に価値がなくなったなんてことはない.計算機を作れるのは計算機が作れる人間だけである.

けれども計算機を使った時の能力それはつまり計算をするという能力だけれども計算をするという能力は実利的な価値としては失われた.もちろん日常生活で全く使わないわけではないしパッと暗算できるということもあるから完全に失われたわけではないけれどもそれでもやっぱり計算機がない時代に比べて自分で計算ができるということの役に立つシーンとか価値が減ったということに対して反論する人はおそらくいないだろう.

2025-02-17

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