#614 失敗は怖い / 呼吸を促す諺

失敗の話。言葉は記号でしかないので、別に失敗にネガティブなイメージを抱く必要はない。必要はないというのはおかしいが、なんというか、そうだな、より平たくいうと、失敗とはネガティブなイメージと共にあるが、人がみなそこに必ずしもネガティブなイメージを抱く必然性はない。
にもかかわらず多くの人はそこにネガティブなイメージを持つだろう。失敗は成功の母だ、という諺があり、失敗をとらえないようにしよう、肯定的にとらえられるようにしよう、という試みが古来からなされているのは、それだけ現実には失敗がネガティブにとらえられているからだ。
なぜなら、人がなにげなく呼吸することに対して、呼吸することをことさらに思い出させて、それをポジティブに言い換えるような諺はない。ないと言いつつ実はあったら困ったものだが、少なくとも自分は知らない。自分は知らないというところで一旦ないものと仮にして話を進める。
とにかく、呼吸は人間にとって必要不可欠のものであるし、生物の本能に刻まれたものだ。呼吸ができないと死んでしまうし、赤ん坊でも特に誰も教わることなく呼吸を始める。だから呼吸をさせるためのことわざは必要ない。
でも、何かの行動を促す有名な言葉は、往々にしてその言葉が語られるときに、それがそうできていないからだと考えている。だってまあ、みんなが自然にできてたら流行らないだろうし、みんなしっくりも来ないだろうし、自然とそれは消えゆくだろう。
ないか、ともすればうっかりすると失われてしまったり、忘れてしまったり、というものであるからこそ、格言や諺で補うのだ。思い出させて、誘うのだ。だから失敗は本当はみんな怖い。まあそれが本能によるものなのかどうかは私は決めつけて語る知識がないけれども。呼吸、とかに比べても、そもそも失敗の定義はあまりにも広いし。
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