#659 判断とコスト

判断ができる判断ができないとはどういうことなのか.なぜその判断ができないのかと思うことがある.それは自分自身にもあるし他人にもある.なぜその判断ができるのかと思うこともある.
これは例えばなぜその判断ができるのかということに関して考えてみると.色々な意味合いがあるだろう.何か例えば大きなリスクがある判断.後から考えてみたらつまり今から考えてみたらその判断は成功していて今すごくうまくいっているんだけれども.
話を聞いたらその当時その大きなリスクを負う判断をどうしたらこの人はできたんだろうなすごいなということがある.もしくはそのような大きなリスクということではないとしてもそのように判断できる材料というもの情報というものはなかったはずなのでどのようなロジックで判断ができたのかなと思うことはある.
もしくは判断ができるできないという状態ですもできる判断がした判断をしたということを選んだこと自体のすごさの背景にあるものとして.そもそもその判断というものは存在するということに気づけたということがすごいなと思うことがある.
つまり判断をしない判断をするという選ぶという行為をしていて.もちろん何も選ばないつまり判断をしないということもあるだろうが.判断をしないという結果にたどり着く場合判断を存在わかっていて判断をしない場合と判断の存在自体に気づかなかった場合があるだろう.
おそらく外から見た結果としては同じようなものになるだろう.本人としてはしかしもちろんそのようにその判断が存在したと分かっていて判断ができなかった場合ともしくは意図して判断しなかった場合とその判断自体の存在に気づかなかった場合.
それぞれによってどれがうまく来てどれがうまくいかないとかどれに後悔があってどれに後悔はないとか.それはあくまで結果論でしかなくて後になってからしかわからないことだ.
そのように考えると判断と結果というものはあまり関係がないのかもしれない.もちろんおかしなことを言っている自覚はある.もちろん関係はあるだろう.しかし何だろうなその関係性というものは全く単純ではない.
そして結果というものとは関係があるかもしれないがというものとその結果をどう受け止めるかというか結果をどう受け止めるかというやつの判断をどう受け止めるか.もっと平たく言ってしまうとどう思うか本人がどう思うかっていうのは結構離れた事象なのかもしれない.
例えば今目の前にある事象があったとする.ある人から見ればそれは簡単な判断だとする.まず簡単であるとはどういうことか.
そもそもまずその判断が存在するということに気づいているということ.もちろん これは a さんも b さんも気づいているとする.
例えばそしてその判断をして何かをやってみるということをするコストが低いとする.例えば2時間の時間と500円の何か材料費みたいなものとあとはまあそれをやるための人件費.というものがあったとして.
まあ2時間の人件費だったらもちろん人件費なので人にもやって全く違うんだけれども.1時間100万円の人もいるだろうし1時間1000円ちょっとの最低賃金の人もいるだろうし.
そしてそれは決まっているものではなくて例えば1時間100万円の仕事をできる人でもこれはお金を無視してでもやりたいことだから1時間1000円程度の時給になってしまったとしても是非それはやりたいということも存在するだろう.
500円は確実に出て行く.まあ現実問題として1時間100万円ではなくてそれがせいぜいそうだな1万円から5万円程度の範囲に収まっているとする.
だとしたらどうだろう別にそんなに悩まずにやってみたらいいんじゃないか.そしてその判断ができるかどうかっていうのは何によってくるんだろうか.何によって違うんだろうか.
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