書く実験の記録

#664 なくしものと記憶

最近スマホをつけているストラップをなぜかなくした。 結果的には見つかったので問題はないんだけれども、結構見つけるまでに時間がかかって思わぬところから出てきて本当に不思議だなと思って。

結構スマホぐらいから、そういえばスマホにストリッパーは付いていないなと思っていたんだけれども、スマホを掃除したりした記憶はあったので、何かの折りに外したんだよねといううっさらしたぼんやりした記憶はあって、 それゆえにその辺を探すとすぐ出てくるだろう、その辺に置いてあるだろうと思いながら放置していた。

しかし必要になって探してみると意外にも全く見つからずにこれはどこに行ったんだろうということになる。あるはずのものはないということは誰しも経験したことがあるだろう。今回もあるはずがその辺にあるはずだと思っているもの、置いてあるだろうと思っているものが全く見つからないということが何かそういう時は不思議な現象になったような気持ちになる。

もちろん実際には不思議なことというのは起きていなくて自分が何かをしてしまってもしくは何か偶然にも例えば机から落ちて何かのその下に入っていた箱に入ってしまったとか何かそういう偶然みたいなものが重なって自分がやったことを忘れているかもしくは自分が意識していない現象が何か起きているかというだけなんだけれども。 しかし、いずれにしても自分の認知していないものというのが今年としてはなかなか面白い。

今回は不思議なことに、デスクチェアの回転部分、つまり座面の下の回転する軸のところに巻き付いていて、しかも椅子の色が黒でストラップの色も黒だったので非常に目立ちづらくて全く探せなかった。

逆に言うと、今回はよくそれを探せたなと全部思う物を探すときは、先入観を愛して見ることが大事だと思っていて、そして特に自分は物を探すのがあまり得意なタイプではないから、いろいろ気をつけて先入観をなくそうとしてみたりとか、指差しかふみをしながら探してみるとかいろいろそういうことをやるようにしている。

そうすると今回は見つけることができてよかったんだけれども自分としてもよくそのような場所を探そうと思ったというか椅子の下の軸のところに巻きついているということなどは全く想像していなかったので本当に今回見つけたのは偶然だなと思っているんだけれどもしかしその偶然を 見つけるために潜入感を生えしたことが良かったんだろうなと思っている。

どういうことかというと、本来ありそうな場所というものをもちろん最初に探すわけだ。法律を考えれば、初めからそうあたりするのではなくてまずはあたりをつけて、多分あのあたりにあるだろうという場所を探したりする。そして、その次には一番最初に確信を持った場所になければありそうな場所。これも結局最初のやつよりはやや角度が低いだけで一緒なんだけれども、なんとなくあり得るとしたらそこら辺があり得るかなという全く覚えはないんだけれども、あり得るならその辺かなというところを探す。

しかし、それでもまだなければ、もはや自分がこうなのではないかという推測をするという範囲で、それがないということはになってしまったので、自分のそういう先入観であるとか、考えというものが間違っているかもしれないし、精度が低いという可能性があるので、あらゆる先入観を排して探してみる。

この時には、できれば最初に探した場所なんかは除外したいところなんだけど、場合によっては本当に目の前に置いてあるにも関わらず、何か先入観によって、例えば何かこう、わからないけれども、本当に目の前にあるんだけれども、何か想像していたというか、覚えていた色や形とちょっと違ったりとか、違う状態になっていたりして、何か全然気づけないということがあるので、本当に最初探した場所も含めて、あらゆる先入観を排してこんな場所には絶対ないんだろうと思ってしまうような場所も含めて、それを探す。

今回はそうして自分でも想像しなかったそして自分でもなぜそこを探そうと思うことができたのか全くわからない状態だったところになぜか気づくことができて非常に良かった。よくよく見ると確かにその同化しているところにわずかに本来椅子にはない形状ひもの先っぽみたいなものが見えていてそれは黒かったからすごくわかりづらかったんだけどしかし、それに気づくことができた。

しかし、これまでの人生には、なぜそれがなくなったのかわからないそして、結局見つからないものというものがあって、それはまあなんか高価で盗まれたりしそうなものとか、外に持ち歩いているものだったらまだいざ知らずただの部屋着のズボンと、なぜそれがなくなるのかよくわからないというかなくなったという記憶自体が正しいのかもはやわからないようなものということがある。

そして今書いたように、おそらくこのような場合は、自分の記憶自体が間違っているというようなことがあるように思っている。だって部屋着のズボンが買っていなくなるなんてことは普通に考えてありえないし、なんとなく覚えていた色や形と違っていて、何か目の前にある、もしくはあるけれども何かちょっと違うなとか、 思ってしまったりとか何かと混同していたりとか何かそういうことがあるんだと思っている。

もはや人間の記憶というものをあまり信用していない。 もちろん明らかに覚えていることはあるし、どうしても記憶に頼らなくてはいけないこともあるし、記憶というものが全く存在しないと思っているわけではないけれども、これは矛盾するけれども、かなり不確かなものだなとは思っている。これは、心理学の実験などでも証明されているものだし、今、新しいことを言っているわけではない。

それに曖昧なままでも別に問題ないことはたくさんあるんだけれども、そういえばあれどうなってたっけ?というふうにプライベートでも何かを思い出したい時は時々あったりするので、何か記録が残っているというのは良いことだと思っている。

そして特に仕事においては、 やはりそれが一緒に仕事をしているチームの中だとしても、何かもう少し距離感があるお客さんとの間だとしても、いずれにしても何かを覚えているというのは非常に重要なことなんだけれども。

そのような時に記憶に頼るのはなかなか危なくてもし自分が100%記憶していたとしても、結局相手の記憶が曖昧だったり違ったものになってしまった時に、結局どちらの記憶が正しいのかということを純粋に記憶のみでは証明することができないので、そういう時に結局古典的な手段であるが記録というものが大事になってくるわけだ。

しかし、議事録というのをある種人間が意識して、それをつけようと思っている時点でまあまあ面倒くさくて、本当はなんだろうな、その仕事にまつわるあらゆることを、そのプロジェクトにまつわるあらゆることを自動的に収集して、自動的に箇所に集めて、そして自動的に対話式のインターフェースで確認することができるというのが最高なものだろうと思い、自体でもいろいろなAIツールはあるけれども、まだそれら全てを統合してくれるようなものが出ていないので、それそれはそのようなものが出てくるといいなと思っています。

2025-04-24

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