書く実験の記録

#671 誰からも悪く言われない人

誰にも悪く言われていない人というものを考えた時に、そんなことはあるんだろうか。例えば、仕事で悪い評判を聞いたことがない人がいるとする。でも、それって、例えばめちゃくちゃな依頼者がいたとして、その人に対しても悪く言われないように対応するってどういうことだろうか。

めちゃくちゃな仕事を依頼してきて、そのめちゃくちゃな仕事に付き合っていて、めちゃくちゃな仕事をちゃんと終わらせる。めちゃくちゃな金額で。それは確かに依頼をしてきた人からしたら良いかもしれないが、そういった仕事に付き合い続けて大丈夫なんだろうか。奪われているだけではないのだろうか。

まあ、適切にそういう仕事を結局断っていく必要があると思っていて、そうすると、でも断られた人にはきっと良いことは言われないだろうし、まあ悪いことを言われなければいいだけなんで、悪いことを言われないのと良いことを言われないのは別だけれども、まあ「あいつは仕事を断ってきたぜ」みたいなことを言われる可能性もあるわけなので、結局まあ全く誰にも一切悪い気持ちを抱かれないというのは無理なんじゃないか。

最近思うが、仲良くしようとしてできない人も多いし、別にそう思ってなくてもできる人もいるし、なるようにしかならないような、そんな感覚がある。

これは自分の人生をきちんと自分自身に握っていないという発言になってしまうように思うので、あまり望ましいものではないと考えてはいるわ。しかし、おそらく後になってみれば、なるべくしてなって然るべき結果に落ち着いているということになるのかもしれないけど、まあでも原因と結果がよくわからないもの、原因がよくわからないものはあるし、思ったより物事はロジカルに進まないし。

例えば、何かに成功した人が「俺はこうやって成功したぞ」という人がいたとしても、そんな方法に多くの場合価値はなくて、その人の通りやっても成功するわけじゃない。それは結局、環境や条件や運や、まあランダム性、あらゆるそのランダム性みたいなものがそこにはあるわけで。

もちろん、そのランダム性をいかに使うのか、ランダム性の中でいかにうまくやっていくのかっていう方法論があるとは思うし、学ぶ余地はあるんだけれども、「今から先人の言葉を一切聞く必要はない」「一切何の意味はない」というつもりはない。必要に意味はあると思ってるんだけれども、なんだろうな、そこの違いは何だろうね。

成功した人間は「これは自分の力で成功したんだ」と思いたいし、そう言いたいわけだ。あらゆる環境、あらゆる条件とあらゆるランダムによって、あらゆる乱数によってその自分の現在の状況が与えられている、ただ与えられているのだと思える人は少ないだろう。

だから、みんな人は自分の成功を語りたがる。「自分はこうやって成功したんだ」と言いたがる。でも、例えば冒頭の誰にも悪く言われない人というものは、もしかしたらまだ単純にそういうめちゃくちゃなやつに出会ってないだけかもしれないし、めちゃくちゃなやつと出会ってまだ死んでないだけかもしれないし。

あらゆるフィクションを見ると、いろんなフィクションを見ていると、主人公が「まあこれはご都合主義だな」と思うような展開でも、ないよ、よくあるし。そもそも主人公という存在自体がご都合主義なことも多いし。

しかし、それが悪いわけではなくて、何というか、たまたま初めから特別な人を描いたと思うと何か違和感あるけれども、その世界に同じような人は無限にいて、無数にいて、その中でたまたま偶然うまくいった人というものが、その主人公でありヒーローであり、だからそれを描いてるのってあって。

それはだから、統計的な外れ値であって、同じようなことをして失敗していった、同じような考えをして同じようなことをして失敗していった、その一人を除いた成功した一人を除いて、あらゆる全ての人を描くことはない。ただそれだけなんじゃないか。

2025-05-23

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です