#672 AIを使わないで書く、について

もともとはこのテキストはAIを使わないで書こうと思っていたものだそれはなぜかというと、これからの時代におそらくきれいで整ったそしてAIによって書かれた文章というものはどんどん指数関数的に増えていってその流れをもう止めることはできないから、少なくともその中に少しでも自分という生の人間の生の文章を残しておきたいと思ったからだ。
しかし、どうだろう。これはAIを使うか使わないかという議論に関係する話になると思っているのだけれども、実際のところAIを使わないというのは難しい。結果的にAIを使ってしまっている。
そもそもAIというものの厳密な定義をせずにこの話を始めているが、この文章ではあえて何をもってAIとするのかということを考えることはやめようと思う。もちろん全く違うもの、例えばリンゴはAIですかと言われたらそれはAIではないということはできると思うけれども、それが中身がif文やswitch文なのかもしれないし、最新の大規模言語モデルなのかもしれないし、エキスパートシステムとか、ということについてはあまり考えないようにしようと思う。つまり、そうして言うと自分自身が出した出力、出した出力っていうのは馬から落馬した感じになっているけれども、自分自身の出力がダイレクトにそのままアナログな形で残るというものでない限り、それが何か保管されたりするということすべてをAIの力だと仮定して考えてみよう。
そう考えると、かなり前から、例えば予測変換などを使っていたし、入力しながらの自動変換みたいなものも使っていた。それはキーボード入力の時に、ね、Google日本語入力というものは昔はあったし、あれ、今もあるのかなちょっとわからないけれども、まあとにかく昔はそういうのを使っていたし、今はMacOSのライブ変換、つまりキーボードで入力をしながら、スペースキーで一時変換をしないとしてもある程度自動で変換をしてくれるという機能を使っている。
これがAIなのか、AIではないのか、広い意味でのね、広い意味でのこれを使ったとして、これがAIを通した出力なのか、そうではないのかということについては、どうだろうか。ここについては、使っていると言っていいのではないかと思っていたけれども、よく考えたら、あくまでも自分が考えた。自分で考えた変換を、そうしているだけなので。 そして補助がいるが、特に出力には影響していないかもしれない。
なんというかスピードをアップしてくれたりとかはしているけれども、出力が全く変わっていないと言ってもいいのかもしれないね。 そこにはだから機械の補助はあるけれども生の出力だと思ってもいいのかもしれない
では音声入力はどうかというと、どうだろうかつまり、今私は数年前から音声入力を多用するようになっていて、今この文章も音声で入力をしている。この辺はここ数年の技術の進歩は本当に目覚ましくて、オープンAIのウィスパーとかその辺がスタンダードだと思っているんだけれども、もしかしたらもっと今は違うのが普及しているのかもしれないけど、とにかくウィスパーの精度はすごいということは昔試したので分かっている。現在使っているツールの裏側がウィスパーなのかどうかちょっと分からないけれども、まあとにかくここにはいわゆるAIの力が加わっていると言っていいだろう。だから、それによって自分の生の出力というものが。
ここについてはなかなか難しいというか、一つはそうだな、物によるような気はするつまり自分の滑舌の悪さとか発音を間違ったというか、そのなんかなんだろうな、滑舌が悪いものをいい感じに文脈を読んできちんとした変換をしてくれるというのは、それはもはや生の出力なのかどうかという気持ちになる。
どこまで結局切られてしまって仕切りになるのかということはグラデーションであってなんとも言えないつまり本当にこれは生の出力と例えば1本の線を引くということに例えて言うと人間が引く線というものはガタガタだこれは当然人によるけれど上手い人は上手いし僕は線を引くのは別に上手くはないだろうだから一本の直線を引こうとしても曲がっているだろうしガタガタだったりするかもしれないしかしコンピューターを使えばもしくは例えばiPadとApple Pencilを使えばきれいな線を引くことができる直線への自動変換を使わないとしてもまあ少なくとも曲線だとしてそれは非常に滑らかで美しい曲線を描くことができるがそれはもはや生の出力ではないそこには補完が入っている その他の計算がいわゆるAIというものに分類されるかどうかということは議論の余地があると思うがいずれにしても計算機によって補完されているということは事実だ。
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