#672 恥をかく練習

もともとこの場所というか、この文章は、まあいろんな意図はあったにせよ、その中の一つとしては「恥をかく練習」というところがある。つまりというか、絵を描く練習っていうのはどういうことか。
何かを作るというのは、まず作るというだけのことであり、それは常に自分との対話というか、出来上がったものに対して──出来上がったものっていうのは、もはや自分自身ではなくて、自分自身が作り出したものとして、自分とは別の存在になるわけだけれども──そうすると、それに対して何か思うところが出てくるというか。
葛飾北斎も晩年になっても、自分が作ったもの、去年自分が作ったもの──あ、違う、去年じゃなくて昨日だったかな──とにかく前日自分が作ったものすら恥ずかしく思うというような。つまり、それは向上心の表れであるとか、ある種の完璧主義なのかもしれないし、完璧主義はよくないとよくね、言われているので、よくないのか良いのかわからないが、いずれにしてもそれは、まだ諦めない、向上したいという気持ちに繋がっているから、ポジティブなものとして一旦捉えておく。
そのように考えていたという逸話を聞いたことがあるし、まあ、とにかく自分が作ったものというのは、だいたい恥ずかしいものだ。恥ずかしいと感じるものだ。恥ずかしいというか、「恥ずかしい」っていうのはおそらく、外に出した時とか出す前に対して起きる感情で、まず自分自身に対しては、その未熟さとか「下手だな」とか、とにかく自分が思い描いたり想像通りに作れないということに、複雑な気持ちになったり落ち込んだりするわけだ。
しかし、時に複雑な気持ちにならない時もあって、「まあよくできてるな」という気持ちになるわけだが、もしその気持ちが持続するとすれば、そこで成長が止まってしまう可能性もあると思っている。
例えば、何かのジャンルで自分が──まあわからないが──何か絵を描いたとして、何かのジャンルの絵を描いたとして、「いやこれはすごく好きだ」と。自分がこのバックを書いたこの絵はすごく好きで、すごくいいと思ってる具合っていうのは、別に自分の作品を肯定するというのは──まあこれは外向きに肯定してるところを見せるということと──自分の中で「まだまだだな」と思うところは全然別であって、外向きにネガティブになる必要はないんだけども、自分の中では「これが最高だ」と思ってしまうと、それ以上はないってことになってしまうのかもしれない。
もちろん「これはこれでいいけれども、もっとこうしたいな」とか、そのどちらが上でどちらが下でもないけれども、やりたいことはたくさんあるって事はあるし、「もっと他に試したい」「こうなったら、これやったらどうなるんだろう」と思うようなこともあるし、それはそれとして。
コメントを残す