書く実験の記録

#675 危機においてきちんと能力が発揮できるということ

何かテンパった時、つまり何かトラブルが起きたりして——例えばだよ、例えばトラブルが起きたりして何か焦るような状況になった時。時間が迫っていて、それまでに解決しなくちゃいけない、本番が近いぞどうしよう、みたいな時に、どのように振る舞うかというか。

「振る舞うか」って言うと意図して意識して、その「どのように振る舞うか」という意識的な行動の話をしてる感じがするけれども、そうではなくて、「どのように振る舞いうるか」「どのように振る舞うことができるのか」ということについて考えることがある。

具体的には、そのような焦る状況になった時に、うまく問題が解決できなくなることがある。それは、いつもだったらもうちょっと落ち着いて解決できるはずなのに、何か焦ってしまって、いつもできるはずのことができない。いつも考えられるはずのことが考えられない。いつもより頭が働かない。焦るばかりで解決策が浮かばない、みたいなことはある。

まあ「頭が真っ白になる」みたいな話というか、表現がそれに当たるのかもしれないね。

だけど、そんなやばい状況の中でもうまく落ち着くというか、非常に簡単に言うと「脳みそのスペックが落ちない人」…いや、この表現はちょっと違うような気がしていて。「スペックが落ちない」というと、例えばパソコンのスペックっていうと元々持っている数値上の性能みたいな感じだから、そういう話ではなくて。

まあ「スペックを十分に出せる」というか、焦るような状況でも普段通りの考える力を発揮できるか、はっきりすることができるかということについて考えることがある。

時に、自分が「今結構テンパってしまってるな」と分かりながらもうまく頭が働かないような時があって、その時に別の友人が割と冷静にちゃんと対処してくれて事なきを得たんだけれども、逆に自分はそういうふうに振る舞える時もあるし。

まあそれは立場にもよったりするから、ある種第三者的にちょっと横から見ていて、当事者だと気づけないこととか、当事者だからこそ見落としてしまうこと、みたいなものもあって。

その時に冷静でいられる第三者の視点っていうのは非常に重要だから。

そして、人生というものは常に冷静ではないというか、常に常に渦中にあるようなものだと思っていて。そうすると、まあ自分の人生ではない他人の言葉っていうのは、それをそのまま受け入れるか実行するかということとは別として、他人の視点ってのは大事なわけだよね。

まあ一方で話はちょっと変わってしまうんだけど…と思う前に話を戻すんだけれども、なんかその、ちょっと違うな。「火事場で冷静でいる」ということ。要は危機的な状況において能力を発揮できる人と、発揮できない人。

これは「初めからそういう人がいる」、初めからというか、「できる人」と「できない人」がいるという話に着地させるのか。

もしくは「できる人もいるしできない人もいる」けれども、それはケースバイケースで、やはり当事者になると見えないものもあるから、誰しも第三者とか、つまり立場とかタイミングによって、まあそういう能力を発揮できるかどうか。

もしくは、自分も当事者ではないからこそ冷静に見えて冷静に解決ができることもあるよね、みたいな話もあるようには思っていて。

まあそういう着地に——着地というか、そういうふうに考えるのか、まあそもそもそれが得意な人と苦手な人がいるという、能力に根ざした話にするのかっていうのは、自分の中ではどちらにするか決まってはいなくて。

もしくは普通に夜中のことというか、多くのことはグレーというか、つまり、まあどっちもあるんだろうと思っている。

先天的な要因と環境的な要因——「的」って言うと「生まれつき」になっちゃうからちょっと表現を間違った気がするけども、とにかくまあ、そういう能力があるのかどうかってことと、タイミングとかポジションによるよねっていう2つの要素が絡み合っていると思う。

でもまあ、結果として今自分が思い、なんかこう想像するに、自分がそれがうまくできていないタイミングっていうものもあったし、そういう時に誰かの第三者の冷静な意見とかがためになった時、助けになった時もあるし。

もしくは第三者ではないけれども、ちゃんと当事者だけれども、脳みそのスペックを落とさずに、脳みその性能を落とさずに、ちゃんと向き合えていること。自分がすべきていなかったことができている人を見て、「いやこの人はすごい人だなあ」と思うこともあるし。

なんかそういう能力の違い、そういう何かの違いっていうのはあるなあと思ったことがあるね。

2025-05-27

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