書く実験の記録

#679 ネガティブなモードという土壌

何か嫌なことがあって、例えばネガティブなモードになってしまっている時、うんざりしてしまっている時に、特に方向性を定めない文章を書き始めてしまうと、ついついネガティブな方向に引っ張られてしまうように思う。

「方向に引っ張られる」ということ、ネガティブな文章を書いてしまうということを望んでいるわけではなかったりもするので、そうするとそのネガティブな感情という状態から出ていけるネガティブな文章、ネガティブなテーマみたいなものと、「しかしそのようなことを聞きたいわけではない」「そのようにしたいわけではない」ということの葛藤とがぶつかり合うことがあるんだろうな。

しかも、まあ何だろう、このようなネガティブなモードというものは、もちろんこれはテクニックとして、技術として、それを抜け出すことができるようにすることはできるだろうし、しかしまあそれもケースバイケースで、それがうまく行く時もあれば、それがうまくいかない時もある。

切り替えたらそれで終わりなことは、まあ切り替えればいいんだが、忘れてしまってそれを終わりにすることができないような場合は、なかなか抜け出すのは難しかったりする。根本的な原因を取り除くしかないということだろう。

原因を取り除くことなしに無理に進もうとしても、もちろんうまくいかないこともあるし、もちろんうまくいってしまうこともある。例えば、まあ何だろうな、もやもやするということは時にあるし、その原因そのものがなくなってほしいと思ってしまうこともあるだろう。

自分とは関わりのないところで、勝手に自然に何かたまたま良いことが起きて、そのような原因がなくなるということは望ましいわけだが、残念ながら多くの場合はそうはならない。

まあそれはそれとして、とにかくそのようなネガティブなモードに入ってしまっている時に書く文章というものは、しかしネガティブな印象を与えたくはない。そのようなことをただ口のように書き綴られないわけではなかったりをするので、そうするとその土台となる、土となる自分自身の身体、考えのようなもの、考えというか、ほんとだね、思考、土台となる思考のモードみたいなものと、そこから生まれてくるものというものが狭く、しかしそれを育てたいものではなかったりして、そこに矛盾が生じてしまうというか、うまく進められない、もしくは進めるべきではない。

とはいえ、では別の良いポジティブな土があって、ポジティブな土から生えてくる植物があるのかというと、なかなかその土自体が変わるわけではなかったりするので、難しいことがあると思っている。

2025-05-31

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