#685 まだ価値がわからないことの価値

自分が書いてる文章10回分ぐらいをチャットGPTに読み込ませて、改善点を挙げさせてみた。改善といっても、何を全部するのか、つまり何を良しとするのかというものは必ずしも一義的に定義できるものではないはずだから、そこはあえて指示していない。それも含めて試してみたという感じだ。
指摘としてはそれなりに適切で的確で、そうだよね、という感じのものだった。たとえば良くないところとして、論点が曖昧に流れること、話題が移ろいやすいこと、結論が弱くて着地が曖昧であること、保留の表現が多いことなど。全くその通りで、言われたらそうだなと思う。
逆に言うと、それは分かっていてやっていたというか、論点が曖昧に流れてもいいし、同じところに行ったり来たりしてもいいし、結論めいたものをきちんと出そうとしなくてもいいし、分からなくてもいいし、確信が持てなくてもいいと思って書いている。むしろそのように。
それらを全て満たそうとすると、意味や価値があるもの、現時点で価値があるものというものに囚われすぎるのではないかと思って始めたのがこの場所だ。
今この瞬間に意味や価値があると分かりきっているものは、今価値があるものであって、明日価値があるとは限らないし、ないとも限らない。だからあるかもしれないし、ないかもしれない。
分かりやすい結論や答え、着地を与えてくれるものや、断言するような文章──たとえば「これはこうなのだ」「絶対やばい」「絶対これやった方がいい」「今これがすごくいいんだぞ」──そういった断言情報を求めてしまう瞬間は自分にもあるし、多くの人がそれを求めたくなる気持ちも分かる。
それは読む人にとって負担をかけない文章なのだろうが、ここをそういう場所にするのかというと、それは少し違う気がする。
構造の面では、1本のエッセイに対して1つのテーマに絞るということが書いてあるならばそうだろう。しかし、行き先を決めずに歩く面白さ、行き先を決めない文章がどこに転がって行き、どこに滑って行き、どこにたどり着くのか、もしくはどこにもたどり着かないのかという、分からない面白さは目的を持った行いからは生まれない。むしろそういう目的を持った行いは普段の仕事で求められるものであり、実際にやっているものだ。
仕事として成り立っているというのは価値があるわけだ。別の誰かにとって価値があるからこそお金が払われる。そこにはすでに分かった価値があり、だからこそ値段がついている。そしてお金が払われるわけだ。
逆に言えば、お金が払われないもの、価値が分からないもの、今はまだ価値になっていないものにこそ意味がある。そういうものを探す場所だと思っている。
まとめているなと思ったことについては、「まあ」「何と言うか」「多分」「別に」といった表現はもっと減らした方がいいと言われていて、それはそうかもしれない。今も実際使ってしまっているしね。
ただ、それを取り入れるかどうかは分からないという点は非常に重要だ。今の文章は自分に向けた書き物になっている。それを他人に向けた書き物にする場合、読んだ他人が何を感じるか、どんな価値があるかを少し意識してみると良いと書かれていた。
ここにも「勝つ」という言葉が出ていたが、「勝つ」ではなく「価値」だね。「価値」という言葉がやはり大きなテーマだと自分でも思う。
価値があるもの、それは今価値があるものであって、価値があると分かっているものというのは事実としてあるものだが、誰かにとって今この瞬間に価値があると感じているものにすぎない。価値とは普遍的なものではない。1人の人間の一生の中でも、人生のタイミングによって、さらには一瞬一瞬でも価値は変わる。
価値を優先順位と言い換えてもいいかもしれない。お金を使う価値があるのか、自分の人生の時間を使う価値があるのか、いずれにしても何かの指標で測っているわけだ。
その価値があるか、ないか。そして、たとえ価値があっても、全ての価値あることにリソースを割くことはできない。そこには優先順位がある。ある瞬間には何かに価値があり、別の瞬間には別のものが価値を持つ。もともと何かの価値がなくなったわけではないが、相対的に別のものが上がる。
だから価値があるかないかで測るのは非常に移ろいやすいものだし、ちょっと何を言いたかったか忘れてきたけれど、忘れちゃったな。そうだな、忘れちゃったな。
というようなことをチャットGPTにさらに書いたら。
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