#686 ディレクションは方向だけ

一日中どうにも何もできていないなという日がある。まあ、そういう時もある。たまに予定通り行かない時もあるし、というかそれは間違っていて、多くの場合予定通りには行かない。
しかと言って、だから予定はいらないということと、こちらの方向に進みたいという大まかな方法を決めることはまた別のことだ。行ってみれば、なんとなくこちらに住みたいというのは方向を示すということであって、それはディレクションなわけだね。
どこまで住みたいのかということを定めるか定めないのか。つまり例えば、ある「歩く」ということに例えて言えば、すべての方向に同時に歩き始めることは少なくとも人間にはできないから、どちらの方向に進むのかを決める。そして歩き始める。これは方向を定めるということだって、ディレクションみたいなもんだろう。
始めるだけであれば、実はその方向だけがあれば良くて、どこまでいつたどり着くのかということはそこには含まれていない。だって、とりあえず一歩歩き始めるだけであれば、どちらに足が踏み出すのかさえ分かれば良くて、その後、同じ方向にもう一歩踏み出すのか、または曲がるのか、もしくは休憩するのかということは含まれる、含まれていない。
逆に言うと、含まれていなくても一歩踏み出すことはできる。どこにたどり着くのかということがわからないものづくりというものも、きっとあるだろう。それはそれで面白いと思っている。
ただ、そうではなくて、どこにたどり着きたいのか、いつ辿り着きたいのか、そしてそのためにいろんなステップが必要なのか。不可能、それぞれのステップは中間地点において、いつ達成できていたら最終的なゴールに、最終的な目標の日程の中でたどり着くことができるのかということだ。
そういうものがある場合もあるし、ない場合もあるわけだ。そしてもちろん、お仕事の場合はそういうものはあるということには基本的にはなっている。
もちろん、進むのかわからないが違うな。どちらにするのかは分かっているが、どこまで行けるかわからない場合っていうのはあって、それを、そこにこそ面白い段階でいろいろ試行錯誤して、そうでないと、どこまでたどり着けるのかって目標自体がわからないこともあるし、実現性が高いものにならない。
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