書く実験の記録

#688 反射的にやって良いこと

例えば反射的に人を殴ってしまうのは良くないことだ。いや、もちろんケースバイケースによる。やむを得ない場合もあるし、それをしていい場合もあるだろう。例えばボクシングの試合の中で殴ってしまうのは別に悪くない。

反射的じゃないから悪くないというわけでもないし、殴った中から全て悪いというわけではないということに色々考えるとなってしまうが、一旦細かいところは置いておいて、例えば日常のシーンにおいて何かをトリガーに反射的に人を殴ってしまったようなことがあったら、多くの場合は一般的にはあまり良いことではないだろう。そして、それはあまり良い結果をもたらさないだろう。

人を殴ってしまうということを例に挙げたが、別にこれは何でもいい。ケースバイケースで許されるようなことを書いてしまったので、もっとそういう迷いがない、わかりやすくやらない方がいいことというものを例に挙げられた方が良いかもしれない。例えば、それは何だろうか。ケースバイケースではなく常に良くないこと。例えば全財産を反射的に——そうだな、ギャンブルに吸い込んでしまった。もしくは、わからないが生活必需品ではない娯楽に関するものに残り全財産をつぎ込んでしまった。なんとなく良くない気がする。まあ、本人が良ければいいような気もするが、何せ誰かに迷惑をかけているわけではないし。

人を殴ってしまうというのは殴られた人がいるし、そもそも良くない行為であるし、またそれによって被害を受ける別の誰かというものがいるからより問題が大きくなるわけだが、別に何というか酒を飲んでもいいし、ギャンブルをしてもいいし……おっと、これはそう考えていくと愚かな行いをする権利についての話になってくる。しかし元々そのような話をしたかったわけではないが、時間切れだ。

最近よくチャットGPTに前回の自分の文章を入れて——というかその日にやる時もあるけれども——とにかくアドバイスをもらっているんだけれども、やはり初めから論旨をきちんと決めましょうとか、まあ色々言われるわけで、「いや、そういう場所じゃないんだよ」というプロンプトを追加すると「じゃあいいですね」ということになるんだけど、最後にきちんと結論めいたことを書くとやはり読んだ人にとって良いということをよくフィードバックとしてされる。

だが、何かこう色々なものに綺麗な結論というものを求めすぎてしまう、期待しすぎてしまうというのも、それがフィクションであれ、何かの本であれ、何かのビジネス本のようなものであれ、実際にあったストーリーを人から聞くときであれ、何か綺麗な終わり方というか、わかりやすい結末みたいなものがあるという強い思い込みというのは、もしくはそのようなものを期待しすぎる態度というのは意外に——色々なものはそうならなくて、もっと曖昧で納得がいかない形で色々なものは終わるんじゃないかな。そういうものを受け入れるのに苦労するのではないかな、ということを、それを読んだ時に思った。

2025-06-10

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