書く実験の記録

#691 幸せから遠ざかるための努力

こんなことが実際にあると実感した人は少ないと思うけれども、例えば100メートル走っていて、自分は今、先頭を走っている。そしてもう少しでゴールだし、このまま行けばおそらく勝てるという状況である。その状況を認識した瞬間に、何かがうまくいかなくなる、何かがうまくできなくなる。これは「成功を回避したい」という欲求だ。

「成功を回避したい」とはどういうことだろうか。みんな「幸せになりたい」という抽象的な願いがあるとしよう。例えば、何かをしようとして、「それはなぜですか?」「なぜそれをしたいんですか?」「なぜそれをするんですか?」という問いを立てる。そういうことを繰り返して、より本質的な、より上位にある、より根元にある、そういった欲求や目的、目標を探していこうという方法がある、手法がある。

これは多くの場合、優れた方法だし役には立つけれども、突き詰めていくと「幸せになりたい」というような抽象的な、それ以上どうしようもないところにたどり着く。「なぜ幸せになりたいのですか?」と問われても、それに答えるのは難しい。

「幸せ」というものをより細かく分解して定義していって、「それが自分が求める幸せなのである」ということをより具体化することはできるけれども、しかし、それ自体が「なぜなのか」ということは、また難しいという答えになる。最終的には本能的な欲求であるとか、そういったところにたどり着いてしまって、そのこと自体にあまり意味はないところまで行ってしまうこともある。

しかし、いずれにしても、そこにあるのは「幸せになりたい」という疑いようのない大前提だというものがある。が、しかしこれは、この100メートルを走りきる、先頭である、いよいよゴールできる直前に失敗してしまうという欲求とはやや矛盾する。

何かが突然うまくいきそうになった時に、それが怖くなることがある。状況を変えるために何かを継続して努力をしていたとしても、しかしその「継続して努力をしている状態」自体がコンフォートゾーンになってしまい、そこでそれが叶ってしまう、成功してしまうというのは「状況が変わること」だから、そのこと自体に恐れを抱いてしまうことがあるのではないか。

「何かを求めて継続している」ように見えて、しかしその実は「継続をしているという状態」に満足することだけが目的になってしまって、その先にある「何かを成し遂げる」ということを無意識のうちに避けてしまっていたりとか、そうならないような間違った努力を続けてしまったりとか、そういうことがあるのではないだろうか。

2025-06-15

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