書く実験の記録

#701 継続と目的のあいだ

700ポストに到達していたので、1つの区切りとして少し休んでいたんだけれども、やっぱりまた書きたくなって始めてみる。

少し休んでいたのには、おそらく2つの理由があって、もちろん1つは、毎日そんなことに時間を少しでも使っていて、だいたいまあ10分ぐらいなんだけれども、とにかく使っていて、700という数字がキリが良くて、まあそれを少し堪能したかったのかもしれない。

もう1つは、ついつい「続ける」ということを念頭に置いてというか、重要視してやっていくと、「続けるということ」「やるということ」それが大事になってしまうので、少し落ち着いて方向転換をする時間というものが必要だったりする。つまり、少しやり方を変えてみたかったのだ。やり方、もしくはやること、何かを変えてみたかったのだ。

しかし、今もう一度再開すれば、年内にはおそらくきちんと続けていけば800に到達することができるし、自分が何かをしているような気持ちになるということには抗いがたいものがある。

ここで問題なのは、おそらく実際に何かをしているかどうかではなくて、「何かをしているような気持ちになってしまう」ということだ。

ところで今、たまたまスペースキーを2回続けて押した、連打したら、ドットが打たれた後にスペースが入って、そんな機能あったのかと今頃知った。何かを使っていても、その使い方をなかなかすべて知り尽くすことは難しいということを時々実感する。長く使い込んでいるツールでも、新しい使い方を発見することがある。それは例えばハサミのようなシンプルなもの、物理的なものだとしても、なかなかないけれども、何か新しい使い方、良い使い方を発見することがあるかもしれない。

ましてやコンピューターのOSのような複雑なものであればなおさらであって、何年使っていてもそのすべての機能を使いこなせているわけではないだろう。例えば以前、ある機能についてAppleに問い合わせたけれども、明らかにその機能はあったにもかかわらず、そのAppleの窓口の人はその機能を知らなくて、まあやっぱりそういうこともあるよね、人間だしね、ということもある。

話を戻すけれども、じゃあ何をどんなふうに変えようかということだ。「何かを続ける」というのは、時に簡単だったりする。もちろん、例えば「毎日英語の勉強をしよう」とか「プログラミングの練習をしよう」とか思ったとして、毎日それを続けるというのは素晴らしいことだ。やらないよりはずっといいだろう。ほんの1ミリずつでは前に進んでいるとは思う。まあ、そう思いたい。

私は正直言って英語というものがあまり得意ではないし、十分に英語でコミュニケーションが取れる能力があるかと言うと、正直で自信はない。毎日少しずつ英語の勉強をしているけれども、これは「続ける」ということが目的になっていて、まあやらないよりはいいんだけれども、前に進んでいるとは思うけれども、それでもそれが目的に適しているのかということで言うと、必ずしもそこはきちんと考えられていないように思う。

だから「続ける」ということと、「何かに到達する」ということ、もしくは「到達することに貢献しているかどうか」ということは、結局のところ割と無関係だ。

この文章を書くということの習慣化をしてみるということも、いろんな部分のハードルを下げることによって、継続自体はできるということがわかった。例えば誤字脱字をある程度見逃すであるとか、そうだな、音声入力を使うであるとか、まあ内容が大したことなくても気にしないとか、気にしなくてもいいような、あまり人が来ないようなプラットフォームを選ぶとか。

これが例えばnoteなどを使っていたら、あれはそれなりに人が巡回していて、他の人がどのくらい評価されているのかということが可視化されてしまうので、まあまあ落ち込んでしまうわけだ。それなりに落ち込んでしまう。

「そんなことを気にしなければいいのにね」と思うけれども、やはり人は群れで生きる以上、比較してしまうものだ。自分を誰とも比較せずに常に生きていられる人というのは、素晴らしい強い心を持っていると思うけれども、それはそれで正常な社会生活が営めるのかというのは、なかなか悩ましいところというか、少し怪しいなと思っている。

結局は「バランスなのだ」みたいなものは、非常につまらない結論なのだけれども、多くの場合、そのつまらない結論しか出せないことはある。

ということで、何をどのように変えていくのかということ自体を、考えてみよう、しばらく。

2025-07-13

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