書く実験の記録

#704 大きな石を実験する

実験の成果がうまく生まれて、その成果というのは何なのかちょっといると、その一件とかリサーチという状態を超えて、何か一つのプロジェクトであるとか、一つのプロダクト、もっと小さければ何かとして成立するというのは、実験の一つの成功であると考えている。

しかし、実験であるからには、それが成功か失敗かということを知りたいし、成功か失敗かというものがなくてはいけない。何かを測らなくてはいけない。だって、そうじゃないと次の実験に行けない。そもそも何回実験するのか、そしてそれをどう測るのか。測れるものは測るべきものだとは限らないということもあるし、いろんなメリットやデメリットは語られてきている。

逆に言うと、それが正式なきちんとした科学の実験というものでないにしても、自分の中で「これは実験だな」と思えるもの。もっと簡単に言うと、とりあえず試しにやってみようとした場合に、そのやってみた結果どうだったのかということを知りたいわけだ。知らないとずっと次に行けない。

「とりあえず試しにやってみる」というのは、いろいろな不確実性を受け入れるということだと思っている。「とりあえず」というのは準備不足を示していると思うし、「試しに」というのは予測の不完全性、予測がついていないということを言っていると思う。これらはハードルを下げる言葉だけれども、何のためにハードルを下げるのかというと、とにかく行動するためだ。

結局は、何かいろいろ考えすぎると試せなくなって、どんどん腰が重くなってしまうし、逆に言うと、どうやって準備不足で失敗するかもしれないという行動を許容されるようにするのかということだと思う。

それはつまり、どう許容されるのかということはその実験自体の外にあるものであって、それが罰であったりとか文脈であったりとか、残念ながら実験の外にあるから、実験自体からはそれは制御できるものではない。結局は環境によってそれが規定されている。つまり、実験が実験として成立し得るかどうかということ自体が場に規定されている、環境に規定されていると言ってもいいのではないだろうか。

ところで、最近思っていることが一つあって、そうやって「よし、これをとりあえず試しにやってみよう」と思って何かに取り組むとしても、本当にそれがいいのだろうか。今、自分は間違っているのではないかと思うことがある。

それは何かというと、結局、これって完璧なまでに準備をして、完璧なまでに結果を予測して何かをやるというような完璧主義をやめて、思考回数を増やすということなんだけれども、試す回数を増やすということなんだけれども、しかし、そうすることによって、そのあまりにも細切れで増えすぎた何かというものは、果たしてそれは本当に良い影響を与えているのかどうかということが気になることもある。

あまりにもいろいろ試した結果、よくわからなくなってしまったりとか、もっと大きなものに取り組むことができなくなっていたりとか。

「大きな石と小さな石のたとえ」というものがあるけれども、よく知っている人もいると思いつつ、一応説明すると、大きな器に小さい石と大きい石を入れようとしたら、小さい石は後からでも入るけれども、大きい石は後からでは入らない。つまり、小さな石を先に入れてしまってからでは、大きな石は入らないわけだ。

だから、大きな石を先に入れなくてはいけないというような例え話だったように思う。

そして、この大きな石というものをいかに入れられるようにするのか、それとその大きな石を入れるということと、不完全でも実験をするということをどう両立させるのか。

これが一見無関係のようにも思えるけれども、大きな石を試しに入れたらいいんだと思う。しかし、実際には自分の実感としては何か細かい石が増えてしまうような感じがしている。これはそもそもの実験の優先順位の問題なんだけど、何かそこは変動してしまっている。

今のところ感じているここを改善しなくてはいけない。

2025-07-16

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