書く実験の記録

#707 意識ある粒子にとってのブラウン運動

ブラウン運動というものがある。顕微鏡で水中の粒子を観察すると、粒子が予測不可能な方向に絶えず動き回っていることがわかる。当初は花粉の粒子を水に浮かべて気づいたらしいが、原因はわからなかった。

私も専門ではないので詳しくは知らないのだが、水分子が熱によって絶えずランダムに動いていて、それが微粒子に衝突することで起きるとかだったように思う。違うかもしれない。ランダムウォークという言葉もあり、それはある物体・対象が現在の状態から次にどこに進むかを確率的に決定し、移動し、そしてまたそれを繰り返すような動きのこと。

人間で言えば、4マスのサイコロを振って東西南北に1歩進み、またサイコロを振って、ということを繰り返すと、ランダムウォークになる。ブラウン運動もランダムウォークの一種だと理解していいだろう。

自分もこれをつい同じようなニュアンスで使いがちで、そして字義的にも包含されるものだが、しかし思考においては実は結構異なるニュアンスを持っている、持たせることができるのかなと思っていて、それは、ブラウン運動において自らを微粒子の位置だとすると、それは水分子に衝突されることにより動きが決定されるという定義のため、それは完全に外部からの力によってそれが行われるわけだが、しかしよりランダムウォークにおいてはより広い意味であるため、都度自分が何かを選び取って一歩進むということもまた、そこに含んで良いのではないだろうか。

考えて一歩を踏み出すことは決してランダムではないけれども、しかし私たちは所詮この世界の全てを知りうるわけでもなく、もし万が一知ることができたとしても、それをこのちっぽけで低スペックな脳で処理できるわけでもない。私たちが意思決定に用いている根拠や思考などは非常に限定的な情報や前提やロジックに基づいている。それは宇宙全体で言えばサイコロを振ったのと何ら変わりがないかもしれない。というのは言い過ぎだし、サイコロを振るのではなくきちんと考えて選び取ることとは違うと思っているが、しかしいずれにしろ不完全な前提、不完全な情報、不完全なロジックに基づいて行われることで、それを繰り返していくということはランダムウォークと言っていいのではないだろうか。

ということで、自分の文章の書き方の一つとして、考えてはいるがどこに向かっているのかよくわからない、というかわかろうとしていないことを方法として用いているのだと思っていて、しかしここにもっと遠くのものと接続するような、射程の長いものを一定の確率で導入すると、より面白い気づきが自分自身にとっても生まれるのではないかと思ったりする。

つまりブラウン運動においては、水分子に衝突されるだけの花粉が急に離れたところの何かに影響を与えることも、与えられることもないわけだが、そうではなくて、ということである。

2025-07-21

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