書く実験の記録

#711 できないことの隣にあるできていること

何かをしようと思ってできていない時がある。例えば、毎日運動しようと思ってできる人は少ない。できる人もいるけれども、みんななかなかそれはできなくて、できている人はそれは素晴らしい意志力の持ち主だということは、みんなが感じていることだ。

しかし、もちろんその解決策を意志力だけに求めるのかというのはおそらく間違いで、そこにはいろんなものが絡んでいるというか、むしろいろんなものを絡めた方が良い。意志力だけに頼るのは良くないわけだけれども、それとは別に時間がないかどうかということがある。

論点があるだろう。これは非常によく言うことで、「いや、忙しくてさ」とか、「何かをやろうとしてたんだけど忙しくてできなかったんだよね」みたいなことはよくある。私もよくあるし、いろんな人が思い当たるところはあるだろう。だから、「毎日運動しようと思っているだけでは、なかなか忙しくてできなくてね」みたいなのは一番顕著な例、わかりやすい例だろう。この「忙しくてできない」「時間がなくてできない」ということは、あらゆることに当てはまる。

何かができない理由として一番出てくるのはおそらくこれだろう。もちろん「お金がない」とか、「そもそもその能力がない」とか、いろんなものはあるんだけれども、一番頻度として出てくるのはやはり「時間がないからできない」ということなんじゃないだろうかと思う。

しかし、ここではその比較は別に重要ではないので、とにかく「時間がないからできない」ということにフォーカスして考えてみよう。「時間がないからできない」というのはどういうことか。

そう考えてみると、いつも自分に言い聞かせていることとか、思うことがあって、例えば私は今、実際毎日ちょっとした運動をしようと思っていてもできていないわけだ。そしてこれはなぜですか、なんでできないんでしょうね、というと「時間がないから」とか「忙しいから」みたいなことを言ってしまいそうになるんだけれども、それは本当にそうなんだろうかということを常に思うわけである。

なぜなら、それは時間自体はそこにあるからだ。もちろん1日24時間かけてもできないようなこと、一つのことに1日24時間投入しても足りないようなことはある。そういうものはチームで当たったりとか、そういうことにチームの良さというのはあるわけだけども、それは一回置いておいて。

24時間と言わずとも、健康を維持するために何かを続けるとすると、例えば8時間睡眠をとって、それで24時間から残り16時間になる。そしてその16時間も、すべてを何か一つの作業に投入するわけにはいかない。なぜなら、歯を磨いたり顔を洗ったりお風呂に入ったりご飯を食べたりといったことをしないと、健康自体を害してしまうし、いろいろなことが成立しなくなるからだ。

そういう自分自身の維持のために必要な行為というものも、もちろんあるわけである。

そういうものを適当にさっぴいたとして仮にだけど、そういうものに3時間ぐらい使ったとして残りは14時間かな。14時間あるとしよう。じゃあ、その14時間を投入したとしても足りないこと、時間が足りないということはもちろんあるだろうけれども、多くの場合はなかなかそれはできていない。

むしろ、そういうふうに何か一つのことにとにかく自分のことを集中して、自分の全ての時間を投入するみたいなことができていた頃、例えば受験勉強に打ち込んでいた頃みたいな時代もあったかもしれないし、仕事内容によってはそのように一つのことに集中できている人もいるかもしれないけれども、多くの人は、そして私自身も、どうしても複数の仕事に関わって散漫になりがちだ。

複数のプロジェクトに関わってそれぞれに時間を使ってしまっていて、なかなか一つのことに集中することはできない。一つのことに集中できるというのは非常に贅沢なことだと思う。一つのことに集中できるというのは、一つのことに集中できる環境というものを手に入れていなくては、それができない。そしてその環境は、その一つのことをしているだけでは概ね、往々にして手に入らない。維持もできない。

だから結局その一つのことに集中することはできない。もし何か一つのことに集中することができていたとしたら、それは環境という幸運に恵まれているか、それは偶然なのか、もしくは別の誰かがその部分をやってくれているかのどちらかだと思っていて、いずれにしても何か一つのことに集中できている場合は、その一つのこと以外に必要なことというものの存在に思いを馳せて、そして感謝しなくてはいけないと考えている。

話は非常にそれてしまったので戻すと、結局のところ、私が毎日運動ができていないのは「時間がないから」というのも、いくつかある理由のうちの一つ、いくつか想定し得る理由の一つだけれども、当然ながらそれは一番の理由ではない。

なぜかというと、私は別の何かに時間を使っているからだ。つまり、運動するということの優先順位が低く設定されているから、自分自身がそれを低く設定しているからにほかならない。

私が毎日運動できていないのは、私が毎日運動するというタスクの優先順位を低く設定しているからである。例えば今この文章を書いているということは、優先順位が高く設定されているので、それが今まさにできているし、昨日もそれができているし、それ自体は素晴らしいことだけれども、そうであれば私は運動もそのように高い優先順位に設定することができたら、それはできるはずなんだけれども、できていない。だからそれは「時間がないからできていない」わけではないのだ。

もちろん、時間が無限にあったりとか、もしくは24時間めちゃくちゃ暇だったりしたら、できる可能性は増えるんだけれども、結局優先順位を上げることができないと、そこに別のことをしてしまうかもしれないし、寝てしまうかもしれないし、漫画を読んだり他のもっと楽しいことをしてしまうかもしれないので、結局それは時間がどれだけあってもできないときはできないというか、優先順位を上げないと決してできることはなくて。

どちらかといえば、本当に物理的に優先順位を一番上にしても時間が足りないという場合以外は、基本的には「時間が足りない」という理由よりは「優先順位が低い」という理由の方が上なのである。

全ての物事には優先順位があると考えている。大切なものはたくさんあって、「優先順位なんてない」と言う人もいるし、もちろん選べないぐらい大切なものというものはあるけれども、しかし人間は本当の意味でマルチタスクをすることはできない。

この文章を書きながらルームウォーカーに乗って歩くぐらいはできるかもしれない。うまくそういう全く本当に邪魔しないかもしれない、むしろポジティブかもしれないようなマルチタスクを見つけるということは、それはそれでとても良いことなんだけれども。

やっぱり例えば、この文章を書きながら同時に本当に別の文章を書くということはできないし、メールの返信をするということもできないし、多くの場合はなかなかマルチタスクをうまくはめることはできない。だから結局は基本的にはシングルタスク。人間はシングルタスクだと思った方が良いと思うし、それはCPUと一緒で、素早くコンテクストスイッチ、つまりやることを切り替えることで、人間は何とかしてマルチタスクっぽいものを実現しているわけだけれども、しかし本当の意味でマルチタスクをすることはできないと思った方が良くて。

運動の優先順位を高くしていないからだなと自分自身に対して思うわけで、その他に自分がやりたいなと思いながらできていないことに関しても、全ては基本的には優先順位の問題なのだ。自分自身がその優先順位を上げていないから、それができていないに過ぎないのだと常に思うわけである。

2025-07-31

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です