書く実験の記録

#729 埋め込まれない義体

スマートフォンでいつでもどこでも通信をする人間という存在は、体の中にそれを埋め込んでいるわけではないけれども、しかしもはやそれがなかった時の人間とは違う存在なのではないか。というのは、昔読んだ本にそのようなことが書いてあって、非常に腹落ちしたわけだが、最近のこのいわゆるAIと呼ばれるものを使っていると、これもそのような大きな変化の一つだなと感じている。

驚きや揶揄されてしまうような話をしたいわけではないんだけれども、すごくざっくり言って、今もはやチャットGPTを開かない日はない。使わない日はない。多かれ少なかれ頼っていて、それはもはや自分というアウトプットがハイブリッドのものになっており、例えばそれが非常に重要な文章に使うのかどうか。

もしくは、自分は絵を描く人間でもデザインする人間でもないけれども、その重要な絵とかイラストに使われているかどうか。このイラストとかの問題は非常にセンシティブな話題であり、同じように今アニメとかの分野でも非常にセンシティブな話題だとは思う。

プログラミングなんかにおいてもそうだ。結局程度の問題で、プログラミングを完全に任せてももはやAIは全てができるわけではないけれども、ある難易度までなら、もしくは使いこなし方によってはある程度できるし、何もできないということはもはやない。小さなツールであれば全然作れるし、大きなシステムであればまだ作れない。

そもそもどんなものを作って欲しいのかという指示自体がね、人間にはまだできないからね。その大きなシステムの場合は。もし人間にするとしても言葉だけでそれを指示することなどできないし、だからこそ様々な膨大な設計書は存在するわけだ。

しかしまあ、そういう話は置いておいて、例えばじゃあプログラミングの話にするけれども、プログラミングの全てをAIに代替されるのか。もしくはその自分も書くしAIも書くのか。もしくは設計はやっぱりあるけど専門知識が必要で、しかしそれがあれば実装をAIにさせることができるのか。逆に言うと、きちんとした設計の知識がないとまだできないのであれば、人間のその設計力の差というものは生かされるし、それは技術力と言っていいだろう。

そうでないとしても、コードを補ってくれる補完――コード補完というものがあるけれども(これはちょっと漢字が誤変換されていたけれども)、とにかくそのコード補完を少しだけAIでやってくれるという最初のコパイロットはそういうものだった。もっと言えば、全くプログラミングは完全に自分でやるけれども、その準備みたいなものをAIにやってもらうことも可能だし、メールを返す時間みたいなものをAIを活用することによって短縮することで、自分が十分に手でプログラムを書くことができるというのも、一つのハイブリッドな存在とも言ってもいいだろうし。

2025-08-26

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