#738 有限な根性と、どうしようもないこだわり

どうしようもないこだわり。個人としての、どうしようもないこだわりであるとか、こだわってしまう部分というのは、とても大切だと思う。そして、そのこだわりを出すというのは、どうしてもそこには頑張りとか根性みたいなものが伴ってしまうと思っている。だから、頑張りとか根性みたいなものを、私は決して不必要なものとは思わないけれども、それは有限なものだと思っている。
あと、まぁできれば自分ではない他人に対して、自分が頑張っていないんだけれども、他人が頑張るような状況というのは、できれば作りたくないというか。それは、そのような状況の責任、そのような状況になった責任の理由にもよるんだけれども、少なくともそれは何か異常な状態。
つまり、ここで言う異常というのは「異常なことが起きている」と言うと、普通に聞くと何か超常現象が起きていたり、とんでもないことが起きているという感じがしてしまうけれども、システム開発における異常というものは、エラーのことを言っているだけに過ぎなくて、それほど構える必要はない。正常系と異常系があって、その異常の中にも想定された異常もあれば、想定できていない異常みたいなものもある。そして、もちろんその想定できていない異常というのは大きな問題になることが多いんだけれども、中には本当に大したことがなく、実体的に無害だから、発見されてもすぐに修正されるものもあれば、少し時間がかかるものもある。それらは緊急度という過程によるんだけれども、とにかくここで言う異常系というのは、単にちょっとしたエラーもあれば大きなエラーもあるけど、何かしらのエラーということで構わない。
話を戻すけれども、私は個人とか個人のどうしようもないこだわりとかが、最後のクオリティーの詰めには必要だと思っているし、そこにはどうしても努力と根性が必要になってしまうとは思っている。けれども、その努力と根性というものは有限なリソースであって、常に努力と根性を求めるようなこと、そういう前提のシステム、そういう前提の戦略で回っていると、いざという先にその努力と根性が足りなくなると思っていて、そういう意味では普段から努力と根性を使うということには、やや懐疑的なわけだけれども、しかし普段から全く使わないと、そこは増えていかないというか鍛えられていかない。むしろ衰えていくものなので、その辺の配分が難しいなぁと思っている。
話は変わるが、最近というかここに書いている程度だけれども、少し書き方を変えてみていて、というのも最初これは気軽にスマホを手に持って音声入力をしている。これはなんとなく画面全体を見返しづらいし、机の前に腰掛けてキーボード、パソコンを目の前にしてやっている入力とは違っている。入力しているというよりも、それが同じ音声入力というものを使っていたとしても、何かもっとあやふやで、もっと適当な文章が出てくるというか、もっと適当なことを言っている、適当な入力をしているような感じがしていて、非常に不安。
けれども、例えばこれを散歩しながらなどやってみると、面白いのではないだろうかと思う。
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