書く実験の記録

#739 めんどくさいの正体

何かをしようとして、なんだか動けない時っていうのがある。それは大したことではなくて、例えば夜眠いけど歯を磨かなきゃいけないとか、ゴミ捨てに行かないといけないけどちょっとめんどくさいなとか。

まあ、なんかそういう日常にはあらゆる面倒くささが潜んでいる。いや、潜んでいるというか、全然別に潜んでいなくて、まあ普通に露出してるとは思うけれども。

とにかく生きてると、めんどくさいことの多さにびっくりする。いろんなことがめんどくさい。めんどくさいと思わないようなことをやって生きていきたいんだけれども、残念ながらそうはいかない。面倒くさいなと思うことは、やらなくてはいけないことが多いからだ。なぜかと言うと、めんどくさいことはやらなくちゃいけないわけじゃなくて、やらなくちゃいけないからめんどくさいからだ。

これは分解して考えてみると、「やりたくないがやらなくちゃいけないこと」はめんどくさいなと思う。しかし「やりたくなくてやらなくてもいいこと」は、そもそもやらなくていいので、めんどくさいというふうに考える必要すらない。なぜなら、それはやらなくてもいいわけだから。そして「やりたいこと」もまた別に面倒くさいとは思わないわけで、つまりめんどくさいと思うことは「やらなくちゃいけないこと」であり、「やらなくてはいけないからめんどくさい」と思うのである。

ということは、それは「やらなくちゃいけないことである」というふうに、自分が持っているセンサーでもある。それが「やらなくちゃいけないこと」なのかどうかっていうことに気づいていないことは多い。少し考えれば「歯を磨かなきゃいけない」ってことはわかるんだけれども、これはロジックである。つまり頭で考えて「いけない、それは必要なことであるわけだから」ということ。

それが必須かどうかということは、まだ存在しない。頭の中に存在しない状態で、まず「そろそろ歯を磨かなきゃな」っていう気持ちが浮かぶ。それを「やらなきゃいけない」という気持ちは、その時点ではまだなくて、まずは「歯を磨かなくては」ということが頭に浮かぶわけだ。そして次の段階で、それをあんまりやりたくないという自分に気づく。その時点で、別にやらなくてもいいようなことであれば、その時点でやらなければいいし、さらにその先に「でもそれはやらなくてはいけない必要なことである」ということが論理で導かれて、めんどくさいなという気持ちになるわけだ。

2025-09-07

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