#740 成功で語られない99%

最近読んだ本でも、「もう少しいろんなことをゆっくり行うように意識することが大事で、それはすなわち全体としてやれることの数を減らすことにはなるけれども、質の向上につながるらしい。結果として、より大きな成果、より価値がある成果を生み出すことができ、価値の総量としてはタスクの数を多く抱えていた時よりも向上する」というような話であった。
それ自体は近年の自分の感覚とも合致しているので特に異論はないのだけれども、多くの場合、そのために「一人の時間をできるだけ作ること」が推奨されている。それによって集中して何かができるのだ、という感じで読んでいる時は「それもそうだな」と思っていた。もちろん、一人で集中する時間がなかなか取れない。例えば Slack に追われたり、ミーティングに追われてしまったりすると、そういう時間が作れなくなってしまう。それは自分も含め、いろんな人が抱えている悩みであり、現代において普遍的なものだと思う。
ただ、実際のところ少し気になるのは、そこで挙げられている色々な成功事例が、すべて「一人で何かを成し遂げた事例」であるということだ。逆に言えば、一人でなしている事例しかない。チームで何かを成し遂げるということは、一人にはなれないということだ。一人になれるチームなんて基本的には存在しないわけで、集中する時間と集中しない時間、みんなでコミュニケーションを取る時間をきちんと使い分けることで、より良い成果を出すことは可能だろう。しかし、そのような本に書かれていた事例がすべて「一人で何かを成し遂げた事例」しかないという点に、違和感を覚える。
それは結局のところ、「チームで何かをなすということは集中できないことであり、価値を生み出せないことだ」という考え方につながる可能性もある。ただ、自分自身は基本的にそうは思っていない。やはりチームは大事である。これは以前書いたことでもあるが、「チームで成し遂げられること」と「一人で成し遂げられること」は、決して上下関係にあるわけではない。一人では成し遂げられないこともあれば、チームでしか成し遂げられないこともある。それは別種のものだ。
自分が感じている違和感は、たまたまその本がそうだったのかもしれないし、別の要因かもしれないが、非常に偏りを感じるということ。そしてもう一つは、そのような「成功の本」というものを読むときには常に疑わなければならない点だ。科学的な実験と異なり、そこには母集団やサンプリング方法が示されていない。例えば「A という方法をとって成功した人がいました」と書かれていても、「A という方法をとって成功しなかった人はどのくらいいるのか」「なぜ A という指標に注目したのか」といったサンプリングの問題がある。
簡単に言えば、「タスクを減らすことによって価値を生み出せた歴史上の事例」が取り上げられても、「タスクを減らして失敗した人たち」は語り得ない。もしその99%が失敗していたとすれば、その方法に意味はあるのか。もちろん、何をしようと、あるいは何もしなくても、99%くらいは失敗するという現実がある。成功事例がごく一部になるのは当然で、それ自体に違和感はない。だからこそ、常に「サンプリングバイアス」を意識して読む必要があると思っている。
それとは別に、感覚的にはその本を読む前から、自分がそういうことを気にしていた。行動ログなどから推測されて Amazon にそういう本を薦められたのかもしれない。偶然だと考えるほど無邪気にテクノロジーを信じてはいない。むしろテクノロジーとデータは切り離せないものだ。結果としてその本が出てきたのだろう。感覚的には「たくさんのことを同時に効率よく詰め込んでやること」の限界を感じていたので、その意味では違和感はなかった。
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