書く実験の記録

#741 「できること」と「興味があること」

以前ある人と話した時に、その人が仕事文脈での自己紹介をする際に「自分ができる領域はこの辺で、そして自分の現在の興味領域はこの辺である」と説明していて、それはとても良い方法だなと感じられた。

その人はどちらかといえばアカデミック領域の人で、いや完全にアカデミックの人というわけではなく、普通にクライアントワークを行いながら作品制作などもしていた。ただし、それは単に感性的な作品制作を行うというのみならず、非常に言語化を行って、アカデミックに作品制作を行うようなタイプの人だった。

要は、例えば研究者であれば当然研究の領域があって「今この辺に興味を持って取り組んでいます」といったものがある。一方、クライアントワークにおいてはどうしても、飛んできたボールを打つような側面もある。それは自社サービスの開発のようなものとはまた違う。しかし、いかに興味領域を適切に絞って表明していくのか、フォーカスしていくのかということは、対外的な振る舞いとして非常に重要だと思っている。

ただしこれはなかなか難しい問題で、技術的にできるかできないかという話とはやや別の問題でもある。もっと具体的に言うと、「その時点でできること」と「調べて学んで取り組めばできること」がある。もちろん仕事とは「学びの場ではない」「できることに対してお金が払われるのだ」という部分はあるが、それ自体を否定するものではない。

しかし、新しいものを作ろうとする時に、それをやったことがあるプロフェッショナルばかりを揃えることは難しい場合もある。むしろ、やったことがある人が誰もいないということもある。そのため、100%の意味で経験がある人だけで揃えるのは理想ではあるが、実際にはそうならない。だからこそ「100%やったことがあるわけではないけれども、近しいことをやったことがあるからきっとできるだろう」とか「その人のスキルレベルであれば多分できるだろう」といった要素を考えて、人をアサインしたり声をかけたりするわけだ。もちろんうまくいかない時もある。それは不確実性のある事柄であり、作るもの自体も未知であり、作る人にとっても初めてのものであるからだ。

初めに100%予測することはできないし、もし初めから完全に予測できるものがあるとしたら、それはすでに世の中に全く同じものが存在するものに過ぎない。そして、世の中にすでにあるからといって誰にでも作れるわけではない。ものを作ることはそんなに簡単ではない。

だからこそ「できる」ということだけでなく、その道に取り組むモチベーションや興味があるということが大事だ。受け取る側としては、早い段階でどのくらい興味を絞るべきかは分からない。

例えば、大谷選手は他にも様々な才能や可能性があっただろうが、早い段階で自分を野球にフォーカスし、素晴らしい結果を出した。しかし、それに再現性があるのかというと、マクロな意味ではあるかもしれないが、ミクロな意味ではほぼないだろう。そもそも若い段階で決断して絞ったものが正しい可能性は必ずしも高くない。もちろん「何を正しいとするのか」という問題もあるし、正しい/間違っていると単純に言えるものでもない。

ただし、あまりにも早い段階で非常に困難な道を選んでしまった結果として、本人がつらく苦しい状態に陥り、そこから抜け出すことが難しい場合がある。それがどんな選択であれ、その状態を「素晴らしい判断だった」と肯定するのは難しいだろう。

別に大谷選手になることだけが幸せなわけではない。スポットライトを浴びなくても、きちんと働き、きちんと生きる平凡な人生もある。また、不安定なアーティストという職業でも、大変なことはあるが総じて幸せなことであり、それが継続できているのであれば「幸せだ」と言って良いのだろう。

ただし、ここで「幸せ」や「正しい」という言葉を使っているが、それを厳密な意味で用いているわけではない。より適切な言葉や表現があるはずで、それを見つけたいと感じている。

2025-09-11

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