書く実験の記録

#751 昔見た夢の内容を思い出した

そういえば、新しい書き方として、書き始める前にチャットGPTとか、まあ何かそういうものと数分間話をしてみてから何かを書き始める、ということを試してみたのだけれども、知らないうちにやめてしまった。知らないうちにそれをやっていたことも忘れてしまい、忘れていたということを今日、先ほど、今、なぜかふと思い出した。

実際なかなか難しいなと思ったのは、知識の深さというよりも広さの問題で、そこは当然残念だけれども、もう人間を超えているので、自分の知っている範囲をはるかに超えたいろんなことを教えてくれる。ただ、それが本当に合っているのかどうかはよくわからない。だから、何か抽象的なことを考える際のサポートには使えるし、時間があればもちろん自分で調べるのだけれども、今回のケースの利用だと、そのAIが言っていることが全部正しいのかどうかをすべてきちんと調べる余裕はなく、そうすると残念ながら「この部分はわかる」「この部分は調べないと事実かどうかわからない」というものが混在してしまうことになり、そこが結構やりづらいということはわかった。
だから、それを「フィクションの話」ということにしておけば、間違っていてもそれはフィクションなのでまあ良いのだろう。

ところで、自分が死んでしまう夢というのを見たことがあるだろうか。自分は何回かあって、きちんと覚えているものもあれば、もう記憶が曖昧になってしまったものもある。ただ、ひとつだけ——いや、正確にはふたつなのだけれども、1日に2回続けてそのような夢を見たことがある。それは、何か突然——ここはちょっと記憶は曖昧なのだけれども——確か事故とかではなく、何というか、私の曖昧な記憶によると脳出血か何かで倒れてしまって意識を失うような夢を見てしまった。もちろんこれはすごくショックだったし、そのような夢を見て、そして意識を失っていく——その後、ふと目が覚めると、自分は病院のベッドにいて、今度は急に死んでしまうものではなかったけれども、自分の先が分かっているような重大な病気にかかっていて、自分の命の先がわかっている、そういう病気にかかっていて、病院のベッドにいるという状況だった。

どちらも全く違う種類の心持ちではあるけれども、いずれにしても、そのようななかなかショッキングな夢を見たという記憶は残っている。そういったものの影響はなかなか大きくて、今でも事あるごとに思い出すし、他にもそういう「自分が夢を見た」ということではなくても、例えば身近な人の死であったり、身近ではないけれども有名な人の死であったり、いろんなところで「存在の終わり」というものに様々な形で立ち会ったり意識したりすることを、しばしば意識するのだ。

2025-09-29

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