書く実験の記録

#758 確率の向こうにあるもの

10月10日、確か体育の日みたいなものだったように思う。確認をしていないので間違っているかもしれないけれど、「体育」と言うとあまりいい思い出はない。
別に過去の回想に浸るつもりはないんだけれども、「体育」というキーワードから何か昔のことを思い出してしまった。

よく言われる話で、実際に統計的な傾向もあるらしいが、小さい頃の1年間の成長の差というものはなかなか大きいものだ。もちろん個人の違いというものの方がより大きいわけなんだけれども、しかし個人差の方が大きいからといって全体的な傾向がないということではない。
このような話はいろいろなところに関係してくる。個人差が大きいからといって全体の傾向がないということではないのだ。

ところで、皆さんはギャンブルをするだろうか。ちなみに私自身はそれをやらない。一切やらないし、一切やったことがない。
そのように今断言していて、まあそれも限りある範囲の話だなと思った部分はある。ギャンブル的要素があることを一切やったことがないわけではない。

例えばゲームにおけるギャンブル。昔やったことがある『ファイナルファンタジー』というゲームの中で、カジノのシーンがあって、カジノで遊ぶようなことがあった。
では、そこにギャンブル的要素がなかったかというと、もちろんカジノはモチーフであるから、それはギャンブルなわけだ。しかし同時にそれはゲームでもあるわけだ。

それは現実世界のギャンブルをするということと一体何が違うんだろうか。もちろん「お金をかけているか、かけていないか」というのは明確に違うんだけれども、しかし、じゃあ違いはそこだけなんだろうか。
というのも、そうだな、ゲームの中だけではなくて、確率にかけるということは――。

2025-10-10

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