書く実験の記録

#764 明確さと正直さ

朝早く起きると気持ちが良い。特にまだ日が昇っていないような時間、まだ暗い時間などにきちんと起きることができた時は、何だかとても自分が特別な存在になったような気持ちになる。そう思っている、そういう気持ちになる。

何だろうな、何かを説明すること、何かを明確に説明するということ、そこに明確さを持つということ。これは必ずしも、それが正しいことを言っている、正直なことを言っているということと同じではない。

明確であるということは誠実さを保証しない。
明確であるということは正直さを保証しない。
明確であるということは事実を保証しない。

あくまでもそれは「明確である」ということだけを示しているのである。
しかもその明確さというものは、事実の事実性とは違っている。なぜならば、事実は実際にあったことから客観的に観測可能なものというふうにとらえておおむね間違いはないと思うが、しかし「明確であるかどうか」というのは非常に感覚的な問題であって、ある人にとっては明確であるし、ある人にとっては明確ではないということになるだろう。

そのような曖昧なものにおいて「言うのさ」ということを測るというのは、なかなか難しいものであるし、不確かであり、不安なものなのでもあるのだが、しかし人間というものはそれほど賢くはないので、「明確である」ということに対して何か信頼を非常に置いてしまう。だから割と断言口調で話すような人というものは、なぜか有能であるような感じがしてしまう。

もちろんハリボテのそういうものは破られた時の被害が大きいし、基本的に私は別にそれを推奨しているわけでもないし、自分自身もそうしたくはない。できれば見せかけの明確さ、見せかけの有能さよりは、正直さの方が報われてほしいと思う。

しかしこの「報われてほしい」という感覚──そもそも報われるとは何なんだろうかということもあるし、しかしこの正直さというものが救われてほしい、報われてほしいというのも、まあ実際に仕事の場などで働いて一緒にやってみると、もちろん正直さは前提として、しかしその正直者だけではうまく回らない時もある。

しかしこのようなことを言うと、「正直さというものが重要ではない」「実は重要ではない」ということを言いたいかのような、つまり仕事の場においてはそれは重要ではない、というようなことを言いたいような雰囲気になるかもしれないが、決してそんなことはもちろんない。そうではなくて、そうではなくて、何だろうな……非常に言い方が難しいけれども、正直さは非常にありがたいし、正直であるべきだと思うし、正直でない方がいいことなんてない。少なくとも正直であってほしいと思う。

しかし「正直であれば他は何もいらない」と言えば、いらないのかといえば、もちろんそんなことはないし、それだけではなかなか難しい時もある。つまりは、有能であり正直であればそれに越したことはないのだけれども、まあそれは求めすぎというものかもしれない。

例えば、何かAという作業を依頼したら1時間でできる人がいるとする。その人は誰よりもその作業が早いというわけではない。例えばBさんという人は、その作業をうまくいけば調子がいい時は30分で終わらせることができると思う。しかしAさんは非常に真面目で正直なタイプなので、常に見積もりができる。例えばある作業を10個依頼すれば、10倍の時間でできる。

まあ人間は実際にはそんなことはないんだけれどね。上達したり疲労したり、そういうこともあるわけだけれども。少なくとも、予測をするかどうかということは置いておいて、その人はそれを精一杯やっているということはわかる。

しかしBさんという人は、非常に早い時は早いのだがムラがあり、ある時はもっと時間がかかるし、場合によってはサボっていたり手を抜いていたりする。結局はこれは信頼の問題だ。「測れるものがすべての測るべきものではない」というのはよく言われているし、私も常によく思うわけだけれども。

だから、そうだな……そうだな。

2025-10-16

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