#772 プロジェクトマネジメント・マネジメント

何か1個のプロジェクトのプロジェクトマネジメントをうまくできる人であっても、うまくできる能力があったとしても、複数のプロジェクトマネジメントを同時進行でうまくできるかというのは、全く別の問題だなと思っている。
そもそも、もちろん全てがうまくできる人もいるのだろうけれども、そうは言っても、それは同じ能力としてできるのではなく、やや別の能力としてそれができるのではないか。
例えば、自分自身のリソースが枯渇してしまう、もしくは不足してしまうというような事態は望ましくない。
プロジェクトマネージャーが忙しくてプロジェクトが回らないというのは、最も良くない状態だ。
むしろプロジェクトマネージャーは、うまくお膳立てをしてだんだん暇になってくる――つまり、プロジェクトはどんどん自走してうまく回っていて、要所要所ではもちろん必要になる時もあるけれども、プロジェクトマネージャーが非常に忙しくて何かをし続けなくてはいけないということではなく、むしろ徐々に暇になってくるというのが良いものだと思っている。
それができる状況かどうか、できるプロジェクトかどうかということはもちろんまちまちで、一概に言うことはできないけれども、しかし「プロジェクトが忙しい」よりはマシだろう。
とはいえ、1つのプロジェクトでうまくやれたとしても、「じゃあ他のプロジェクトもどんどんやっていこう」というのは結構コントロールが難しい。
余裕がある状態でどこまで対応できるか。
例えば1つのプロジェクトで余裕がある状態、バッファがある状態をキープできていたとしても、その他のプロジェクトで上振れしてくる。
そして、そこで急にリソースを追加したり、プロジェクトマネージャーを交代したり、人を増やしたりしても、なんとかなるものではない。
むしろ、そういうことを見越してアシスタント的な人や補助的な能力をうまく活用していくことが大事なのかもしれない。
人に任せるかどうか、人に任せたいかどうかというのは、作業にもよるし、その人の性格や適性にもよる。
適性を超えて何かをやっていくこともできるし、それはすべきだが、逆に人に任せるのが苦手で自分でやる人がいるからこそ、人に任せるのが得意な人が生きるのだと思っている。
リーダーシップなどと言うけれども、全員がリーダーというチームは想像できない。
それはもはやチームとして機能しないだろう。
「船頭多くして船山に登る」ということわざが昔からあるわけだけれども、昔の人はすでにそのようなことを分かっていたのだなという感じだ。
これは別に現代のテクノロジーがどうこうという話ではなく、人間がチームで何かをする、集団で何かを成すということに関して言うと、非常に普遍的で、ずっと昔からあった事柄なのだから、それがことわざになっているのも無理はない。
フラットな組織を志向したとしても、全員がリーダーだと結局うまくいかないということは見えている。
もちろん、そうした新しい試みをどんどんしていくことは大事だし、そうしていきたいけれどもね。
しかし、例えば「全員がリーダーである」というのもよくわからないし、やはり「全員が人に任せるのが得意」や「全員が自分でやるのが得意」という状態では、いずれもうまく動かない。
どちらもいた方がいいし、それは役割の一つであって、どちらが偉いかということではない。
この辺の「役割」と「どちらが偉いか」ということをうまく認識できない人というのはいるように思う。
もしくは、そうだな――しかし、物言いの難しさというものもやはりあって、時に全体をまとめている人が全体的な視点で何かを言わなくてはいけない。
全体としてうまくいくということと、個々人の裁量に任せるということのバランスで、たどり着く場所や出来上がるものの性質も違ってくると思っている。
だから、場合によっては後者――つまり個々人の裁量を最大化して、それが全体としてはうまくいかない場合もあるけれども、しかしそれゆえ全体で統一したものづくりからは生まれないようなものが生まれたり、予期しない面白いものが生まれたりもする。
そういった面白さというのは確かにあるだろう。
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