#785 気分と迷路

今泣いた烏がもう笑う、みたいな言い回しがあるけれども、自分がまさにそういう気分だ。気分というのは本当にコロコロと変わってしまうし、変わらないと思っていても変わってしまうし、気分とは本当に気分でしかないのだなと思っている。
おととい、私はとてもある意味で落ち込んでいたと言うとちょっと大げさで、それを言うと「とても落ち込んでいた」ということになってしまうし、それはとても何か大変なことがあったような感じだけれども、そこまでではなくて、やや気分が落ちていたというようなことかもしれない。
具体的に何があったわけではないとまでは言い切れないけれども、きっかけはあったかもしれない。ただ、それが別に悪いことではなくて、例えば何かがちょっとだけうまくいかなかったであるとか、別にうまくいってないわけではないけれども比較可能な他人がよりうまくやっていたであるとか、なかなか難しい問題だ。
結局、測るということの難しさだ。自分が何かができていて、しかし別の誰かはもっと上手くできているというのは、なかなか驚くべきことであって……などと言っているが、これは非常に何も考えずに適当に言ってしまった感じで、別に驚くべきことではない。
そうだな、いかに気分というものが素早く変わってしまうものかということであるし、しかしどうだろうな、なかなか気分を切り替えることができないということもある。この違いは何なんだろうか。うまく気分が切り替えられるときと、うまく気分が切り替えられないとき。難しい問題だ。
ところで、そうだな。やはり人と話すのは大事なのだなと思っていて、それもいつも同じ人と話すのではなく、対話を積み重ねているからこそ生まれるものや理解し合えるものもあるけれども、だからこそ気分を変えるためには何かを変化させることが大事であって、やはり新しい人と、もしくは久しぶりの人と話すというのは、昨日泣いていた鳥が今日笑うためには結構重要なことだ。
一方で、もちろん新しいことを知るというのは、私がその一昨日に気分が落ちていたことのように、自分ができていないわけではない、全くできていないわけではないことに対して、別段悪くはないのだけれども、比較可能な誰かがよりうまくできているということに思い悩んでしまったであるとか、無力感を感じてしまったであるとか、要は自己効力感が低下していたということなのかもしれない。
最近はこの「自己効力感」という言葉を「自己肯定感」という言葉よりよく使うようになっているように思う。自分自身は、自己肯定感というのは何というか少しニュアンスが違うのだなと、ここしばらく思い始めているということがあるのかもしれない。
自分を肯定するかしないかというのは、肯定したければすればいいし、したくなければしなくてもいい。しかし、したければすればいいというほど簡単なものではなく、そんなことができるのであれば誰もそんなことに悩まないわけだ。だが、「肯定する/しない」というのは、ちょっと問題からやや外れているのではないかと思ったというのはあるのかもしれない。
それに対して自己効力感というものは、何か自分が達成したいことに対して自分自身にはその能力があると感じるということだ。ここで課題になってくるのは、そもそも目標とは何なのか、目標とは本当に必要なのかということでもあって、最近は結構この「目標に向けて何かをする」ということに対してやや懐疑的になっている部分がある。
例えばダイエットに勤しむであるとか、そういう直線的なものに対しては目標というものは必要だろう。目標のないダイエットは多分うまくいかないだろう……と言いたいところだが、本当にそうなんだろうかということは別途考える余地がある。例えば昨日より今日、今日より明日、もしくは1週間単位で少しずつ体重を減らしていくということだけを考えるということもあるだろう。
これはそうだな、まさに最近読んだ本の影響だけれども、要は新規性探索、探索的なアプローチにおいては、何か目標を決めるというよりは常に今とは違うもの、今より新しいものを探り続けるのだということだ。
分かりやすい例として言うと、迷路を探索するアルゴリズムにおいて、ゴールに向けて進むという場合、その探索の指標としてゴールとの距離を使うとする。例えばダイエットであれば体重が少しずつ減ってゴールに近づく、筋肉トレーニングであれば筋力が増えてゴールに近づく、というように分かりやすい。
しかし迷路探索では、常にゴールに近づく方向だけを選んでいると、おそらく迷路は一生クリアできないのである。これは誰しも想像できることであろう。松森はそういうケースについての話なんだけれども。
そうだな。デイリーコーディングというものがあって、それはつまり毎日コーディングをする、毎日プログラミングをするということなんだけれども、こういった活動というのは常に新しいものを求めている……というだけではなくて、とにかく毎日書くのだということでもある。だから別に毎日同じものを書いてもいいわけで、新しさというものを第一義的に必要とする要素であると言い切るのは間違っているのだけれども、そこには明確な目標はない。これは重要なポイントだ。
そして考えてみたら、チームで実験をしたり作品を作ったりする活動というものがあったとして、そこに対して何か明確な目的があるというよりは、毎回何か新しいことをやっていこうということ。つまり、大きなどこかへの評価ではなく、毎回前回との差分があれば良いというようなことだ。その差分は小さくても大きくてもよく、とにかく差分があれば良いというのは、まさに新しさの探索であり、結局それが継続につながっているような気もする。
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