#789 「覚えている」は証明できない

最近タスク管理に悩んでいるし、タスクをどう覚えているのか、というか「覚える」ということに偏る事態がもう危険であって、覚えることに頼るのは危険である。そんなものは当然忘れてしまったり、記憶が変わってしまったりするからだ。記憶が少し変わることはあるので、そもそも覚えるということに頼るべきではない。
もし覚えていたとしても、100%覚えていたとしても、そのことを証明する方法もない。だから記憶の正しさにあまり意味はない。もちろん一人で作業して一人でやることに関しては、自分一人が覚えているということで良いのだけれども、誰かと何かを進めていく時には、自分の脳みその中に閉じ込められている情報の信憑性を証明する手段がない。そこにしか情報がなければ、なおさら信憑性を証明できない。
そういう意味では「記憶というものにあまり意味がない」というのは言い過ぎだとしても、頼るのは難しいということになる。だからこそ、何かがテキストになっていたり、データになっていたりするのはとても大事なことだ。
そうでないにしても、そもそも自分自身でも自分自身がどう動いているかを当てにできない。「いろんなことをそういえば忘れていたな」ということはある。忘れていることもあるし、思い違いをしていたこともある。であれば、自分自身が正しいと思っていることもまた疑わしいものになる。
もちろん「これはさすがに絶対やっているよね」という強い確信があるものもある。例えば自分の誕生日は間違えていないと思うし、実際に間違えていないはずだ。他にもそこまで明確でないにしても、普段の仕事において「さすがにこれは間違っていないよね」というものはある。
しかし、それがどれだけ確かな記憶であったとしても、もし人と記憶が食い違った場合には、どちらが正しいかを証明する手段がなくなってしまう。どれだけ自分がはっきり覚えていたとしても、やはり記録というものの重要性がある。
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